アイヌ、アボリジニ、マオリ シャクシャインは英雄、和人は・・・
守り神はアイヌの酋長像
唐突ですが私の守り神はアイヌの酋長です。正確には木彫りの酋長像です。精細な彫りが刻まれた顔の表情、アイヌ独特の柄を染め込んた質の良い生地で縫いあげた酋長の服装。腰には太刀を差しています。立ち姿はスッと美しい。数多くのアイヌの木彫、絵図を見ていますが、佳品と自慢できます。
私が生まれた昭和30年、父親が函館で私の守り神として購入しました。以来60年以上、酋長像は私が国内外を転々と移り住んだでも、いつもそばにいます。ちなみに父親は青森県の津軽出身で、当時北洋漁業基地として栄えていた函館市の基幹産業である水産会社で働いていました。表現はよくないですが、函館ではちょっとした顔役のようでした。
当時の水産業の勢いは今では想像できないと思います。父親と一緒に市電に乗っても降車する時です。父親は乗車賃は払いません。市電の運転手さんに「どうも」と片手で拝む格好をして挨拶するだけ。運転手さんも頭を縦に振り、うなずくだけ。子供の私は「お父さんはなぜお金を払わないの?」と聞いても、「そういうものなんだ」と答えるだけ。
そんな父親が私の守り神としてなぜアイヌの酋長像を選んだのか。その理由は聞いたことはありません。ただ食事や外出などその時々にアイヌの文化や習慣を持ち出して「生き方を見習え」とよく教えられました。
些細な例をいくつか。鮭の塩焼きを食べた時。子供には鮭の皮が硬いので食べ残すと「アイヌの人は鮭の皮で靴を作るんだ。とても大事にしている。食べなきゃダメだ」ときつく叱られます。「靴の皮にもなる硬い鮭の皮をなぜ食べなきゃいけないのか」と子供心でも気づく理屈ですが反論できるはずがありません。
市内の球場でプロ野球を観戦していると隣席にアイヌの人が座った時です。アイヌの柄が入った着物姿でした。「なぜこんなに髭が長くて、こんな柄の着物を着ているの?」父親は「髭の長い人もいる。毛が濃い人もいる。いろんな人がいるんだ」と隣に座るアイヌの人に驚くこともなく、いつものように話します。びっくりすることじゃないと諭されました。
父親は毎日、函館港を出発する漁師を見送り、帰港したら市場で一緒に働きその後は酒をたらふく飲みます。「現場を知らなきゃ良い仕事はできない」と魚市場の作業服であるオレンジ色の「ナッパ服」を好んで着ていました。函館以外にも留萌や稚内に住みながら北海道各地をまわっていた間にアイヌ文化に驚き、感謝することがあったのかもしれません。北海道の厳しい自然で生き抜く術を知るアイヌの人々に一目も二目も置いていたのでしょう。
当時の北海道の小学校教育も影響したかもしれません。私の記憶では「アイヌの酋長シャクシャインは英雄、アイヌの英雄を騙して殺した和人は悪い人」という構図で教えられました。私が通っていた小学校は北海道の中でも開校が最も古いといわれ、全国読書感想文を受賞する生徒がいましたから、きっと読書には熱心な学校だったはずです。
図書館ではアイヌ神話を集めた本が多く、子供の頃に日本の神様が登場する神話の本を読んだ記憶がほとんどありません。子守唄と言われて思い浮かぶのは「ピ〜リカ、ピリカ・・・」で始まる歌です。両親の故郷は津軽でしたから、夏になれば「ねぶた祭り」で青森に行き、跳ねていました。
しかし、日本の神話は父親の転勤で本州に移っても、遠い存在でした。40歳ごろに広島支局へ転勤した時、中国山地の神楽を見て「初めてこれが日本神話なのか」と実感したというのが本音です。
シャクシャインの記念館