街灯の輝きを見に行きます 11年5ヶ月、双葉町で避難指示一部解除 

  8月30日午前0時、福島県双葉町で避難指示が一部解除されました。帰還困難区域のうち町の中心部である特定復興再生拠点区域では居住できるようになります。東日本大震災による福島第一原子力発電所事故に被災してから11年5ヶ月が過ぎました。一部解除とはいえ双葉町に町民が戻ります。住民が一人も暮らしていない最後の自治体がようやく解消されました。

 双葉町には2021年12月に訪れました。ただ、伝承館周辺と双葉駅前だけしか歩き回れませんでした。前日は浪江町を半日かけて回りましたから、双葉町については不完全燃焼のまま離れたのが残念でした。

 浪江町はコロナ禍まで毎年訪れていました。前回では人の賑わいが少しずつ戻っていくのが実感できました。浪江町役場周辺には日本でもトップクラスの施設を整えた道の駅、ホテルが並び、近くには大型スーパーがあります。浪江町に宿泊したので、夜は数少ない居酒屋さんを梯子した後、ほろ酔い気分で浪江町を再び歩き回りました。

浪江町の通り

浪江町の通り

 なによりもうれしく思ったのは、街灯の白い光でした。居酒屋から宿泊先に向けて歩道を頼りに進むのですが、初めて歩く道です。不慣れな道のりのずっと向こうに白い灯りが輝いていると、千鳥足でも安心して進んでいけます。コロナ禍前までは真っ暗だった家の窓もカーテン越しに暖かい光が漏れてきます。「人が住み、町が生きている」。

 浪江町の住民は2022年7月末で2000人弱。2011年は2万人を超えていましたから1割にも届きません。私が一人で飲み歩いていた時もお店の人から「短期ですか」と声を変えられました。人の賑わいが戻り始めたとはいえ工事関係者も多いようです。

 翌日、双葉町に向かいます。東日本大震災・原子力災害伝承館を訪ねた後、JR双葉町駅へ。すでに双葉駅での乗降は認められたていたので、駅舎周辺だけでも見たいと考えたのでした。

 当日は不運にも東北太平洋側は強風が続き、JR常磐線は大幅に遅れるか、運休になるかという状況です。伝承館から双葉駅に向かうバスに乗ったのは2人だけ。双葉駅をぐるっと回った後は隣駅の浪江に戻ろうと考えていたので、乗客候補がもう1人いただけでホッとしたのを覚えています。

 状況は予想通り、運休か大幅遅れが確実。電車が駅にいつ到着するのかわからない。バスで乗り合わせた”相方”に対し、同じ方向ならタクシーで行きましょうかと話しかけたら、「あいにく逆方向です」と電光掲示板を見上げながら途方に暮れていました。

 幸か不幸か電車の到着時間を気にする必要がなくなったので、双葉駅周囲をのんびり歩き回りました。腕時計を持っていないので、とりあえず「今は何時か」を確認したいと思い、外に出たついで駅舎の時計を確認しました。「あれっ!?」さっき見た改札口の時計と時間が違います。じっくり見ると、時計の長針と短針は2時46分で止まっています。駅舎はとてもきれいに改装されているのに、時計の針は変えない。双葉町の思いをずっしりと感じました。

 駅舎の隣には双葉町コミュニティーセンターがありました。駅舎が再開しているので、センターも再開しているのかと思って窓ガラスから覗きました。利用している空気が感じません。駅前を歩いても、周辺の街区は空気が止まったまま。時折、伝承館を結ぶバスが往来するほか、工事用のトラックなどが通過します。

 電車にいつ乗れるのかわからず、もう少しブラブラしようと思ったのですが。風と雨がどんどん強くなってきます。最悪の場合、浪江町まで歩けば良いだけと気楽に考えていましたが、結局は双葉駅までタクシーに来てもらい、とりあえず浪江駅に向かいました。タクシー運転手さんは「いやあ、すごい強風でJRが止まってしまったのでタクシーが忙しくて」と笑いながらも、「浪江も双葉もようやく人が動き出すとろこまできた。それがコロナ禍で止まってしまう。とにかく人が動く町に戻って欲しい」と話していました。

 双葉町から避難した町民の多くは避難先の生活が長くなったため、双葉町へ帰還するかどうかを決めかねている人が多いそうです。双葉駅前から街灯の光がこれからどう伸びていくのか。浪江町も時間がかかりましたが、双葉町はどうでしょうか。2021年12月は双葉駅周辺に限られ、滞在時間はわずか。避難指示の一部解除を機に近く訪れたいと考えています。

 

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