映画「ゴールデンカムイ」日本の多文化社会の扉は開いたか(上)

「カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム」(天から役目なしに降ろされた物はひとつもない)

 映画の冒頭がアイヌ語をカタカタ表示した言葉から始まると思いもしませんでした。「ゴールデンカムイ」。原作の漫画は2700万部を超える大ヒット。テレビでもアニメが放映されており、ご存知の方は多いとお思います。

 日露戦争後の北海道を舞台にアイヌ民族が残した巨額の金塊を探す物語です。映画は漫画の実写版。俳優の演技、セリフなど全てが忠実に再現されているのには驚きました。2024年1月19日に公開されてから1ヶ月足らずで観客数は140万人を超え、興行収入は20億円を突破したそうです。

観客は140万人を超え、興行収入は20億円突破

 主人公は2人。日露戦争の203高地の激戦を生き残った元軍人の杉元佐一、アイヌの少女のアシリパ。脇役は多彩です。網走監獄から脱獄した個性的な”極悪人”、日露戦争で多くの死傷者を出した旭川市に拠点を置く第七師団など。箱館戦争で戦死したと思われた新撰組の土方歳三が重要な舞台回しを担うほか、新撰組で最強と評され、唯一布団の上で亡くなったといわれた永倉新八も顔を出す”オヤジ殺し”の配役に心をギュッと掴まれます。映画は原作全シリーズから見れば、導入部分で終わります。まだまだ先は長く、これからシリーズとして何度も制作されるのでしょう。

 映画では雄大な雪原が鮮やかに何度も描かれます。知里幸恵さんが「アイヌ神謡集」の序文で「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい自然に包容されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちだったでしょう」と表現した風景が再現されています。

物語と共にアイヌ文化の理解も進む

 ゴールデンカムイにハマったのは、アイヌ文化をとても丁寧に、わかりやすく説明している点です。原作・映画ではアイヌの埋蔵金を探すストーリーに夢中になりながら、知らず知らずにアイヌ語のみならずアイヌの生活習慣、信仰などについて理解を深める仕掛けがあちこちに組み込まれています。アイヌ文化を学ぼうと意気込む必要はなく、物語が進むに従い和人とアイヌの深い溝も次第に埋まっていく様に脱帽しました。アイヌ語・文化の監修者は中川裕さん。アイヌ語の辞典や生活などを紹介する多くの著作を世に送り出しています。最敬礼!

 アイヌ文化は小さい頃から身近でした。原作ゴールデンカムイは函館市の五稜郭で終幕を迎えますが、偶然にも私は函館市で育ちました。当時、通った小学校では「シャクシャインらアイヌの酋長、英雄を騙して殺害した和人は悪い人」と教わります。図書館にはアイヌの神謡「カムイユカラ」などが多く所蔵され、大和朝廷の神話に触れた記憶がありません。今振り返っても、貴重な時間でした。

小さい頃から身近だったが・・・

 父親も私の守り神として木彫りの「アイヌの酋長像」を買ってくれました。水産業に携わっていた父親はアイヌ民族が伝承した文化を尊敬しており、機会あるごとに説明してくれます。例えば夕食で焼いた塩鮭を食べている時。「鮭の皮は靴になるほど貴重なものだ。残さずに食べなさい」と諭されます。子供心に「靴になるほど丈夫なものを食べても大丈夫なのか?」と不思議でしたが、反論できるわけがありません。60年以上、アイヌ酋長像がいつもそばで見守ってくれたおかげで、健康に過ごしています。

 アイヌ文化に何の違和感もなく育っただけに、アイヌ民族に対する差別を知った時は正直、驚きました。札幌市でアイヌ文化の支援機構のスタッフとそんな話をしたら、「何とも稀有な幼少期を過ごしたんですね」と皮肉を言われたこともあります。

 10年以上も前ですが、阿寒湖などで旅館・ホテルを経営する鶴雅グループの大西雅之さんとアイヌ文化について何度もお話しする機会がありました。大西さんはアイヌ語で「こんにちは」を意味する「イランカラプテ」を前面に出した北海道ならではのおもてなしに力を入れ、アイヌ文化をもっと身近に感じる北海道を体験して欲しいと先頭に立っていました。日本全国で見れば、アイヌ文化はまだ北海道の観光名所の一つに過ぎず、アイヌ民族に対する関心の低さを何とか改善したい。そんな思いを強く感じました。

法制上の差別は撤廃されたけど

 アイヌ民族に対する差別は法律上、撤廃されています。明治32年に制定された「北海道旧土人保護法」は1997年(平成9年)は廃止されました。もう27年の年月が過ぎましたが、残念ながら北海道内でも、とても文字にできない差別的な言動をする人が残っていますし、理解不能な訳のわからない差別発言する国会議員もいます。本州以南では、アイヌ民族の存在すら関心のない人がいるかもしれません。

 ところが、ゴールデンカムイは若者を中心に高い人気を集めています。フィギュアや関連グッズはすぐに売れ切れてしまい、オジサンが買う頃には店頭に並んでいません。原作やアニメ、映画を通じて日本人の多くがアイヌ民族と文化を知り、「アシリパって可愛いよね」と若者たちが話題にしています。

 日本にも多文化社会が訪れるのかもしれない。20歳代の若者とアニメや映画について話していると、そんな期待を感じました。自分たちの文化と違う文化も尊重し合う多文化社会。多くの異文化が共存する社会と言えば良いのでしょうか。英語でMulticultural Society。急に英語を持ち出したのは、30年前の苦い思い出が蘇ったからです。

30年前、オーストラリアで多文化社会が議論

 オーストラリアで駐在している時のことです。英国の植民地だったオーストラリアはかつて白豪主義を経験した欧州文化が支配する地でした。1990年代、先住民「アボリジニ」の権利回復、急増するアジア系移民が持ち込む異文化が新たな社会的な摩擦を引き起こすとして大きな問題になっていました。個人的には多民族国家という表現が適していると思ったのですが、現地のメディアは「多文化社会」を使います。民族同士の摩擦ではなく、文化をどう認め合うのか。そこが論点なのだ!と。

 日本では目新しいテーマと考え、「多文化社会の記事を書きたい」と勤務する新聞社の編集デスクに連絡すると、信じられない言葉が返ってきました。「マルチカルチャラル・ソサエティ?多文化社会っていう言葉は日本で知られていないし、読者は興味はない」。思わず息を呑んでしまいました。=つづく

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