マオリの信仰が込められた木像

映画「ゴールデンカムイ」日本の多文化社会の扉は開いたか(下)NZから

 2023年秋にパリで開催したラグビーW杯。試合開始前の国歌斉唱、ニュージーランドの代表チーム「オールブラックス」はマオリ語で歌い始めました。キックオフ寸前にはマオリ族の伝統的な闘いの舞い「ハカ」を演じます。ラグビー好きなら、だれもが憧れ、尊敬するオールブラックス。国の名誉をかける闘いを前に先住民マオリの伝統を身に纏い、鼓舞するのです。

国家をマオリ語で歌う

 先住民マオリとの共存、あるいは融和に向かって政府が先頭に立って努力しています。1987年、公用語にマオリ語を加えました。日本がアイヌ語を公用語にする日が訪れるかどうか想像もできない現状を念頭に置けば、ニュージーランドの先住民政策の先進性が理解出来ると思います。

 マオリ語は国歌以外にもあらゆる場所で英語と併用されています。ニュージーランドを訪れると、英語とマオリ語が併記されている風景をあちこちで目にするはずです。マオリ語といっても独自の文字はありませんから、アルファベットで発音を表記しています。 

 その歴史を振り返ればオーストラリアの先住民アボリジニが経験した境遇と大きな差はありません。所得の低さ、高い失業率に苦しみ、貧困や泥酔などによる暴力沙汰でさらに自らを窮地に追い込まれます。欧州系白人との格差は際立っていました。

先住民の厳しい境遇は何処も同じ

 英国が植民地として先住民から土地や諸権利を奪い取る構図はオーストラリアと同じです。違うのは1840年、英国の国王と先住民マオリ族が土地の所有権などの諸権利について契約している点です。戦闘能力が高いマオリは勝手に土地を売買する英国人を見逃すことができず、衝突が絶えなかったからです。この契約は署名した地名からワイタンギ条約と呼ばれています。

 条約はボタンのかけ違いの始まりでした。英国はワイタンギ条約を盾に土地の所有権を得たと判断し、ニュージーランドの土地を売買しますが、マオリの人々は土地を手放したとは考えていません。権利に対する考え方の違いもありますが、条約をマオリ語に訳した文章に主権を手渡した趣旨を含んでいなかったのです。今も激しい紛争が続く中東地域で見せた英国の二枚舌、三枚舌が原因です。最初のボタンに戻ってかけ直せば良いのですが、歴史を消し去り、無かったことにできません。

 1990年代に入っても、構図は変わりません。アルコールと薬、貧困から抜け出せないマオリの若者を描いた映画として「Once Were Worriors」が話題を呼んだことがあります。戦士としての誇りに満ちたあのマオリはどこへ消えたのか。こう問いかける小説が映画化されました。破綻するマオリの若者の姿は誇張が過ぎるとの批判が出たほどです。

不法占拠して土地返還を主張することも

 市内の公園をマオリの土地だと主張する運動も現れました。政府や自治体から見れば、法律に違反する不当占拠です。ある市立公園を不法占拠したグループを取材したことがあります。敷地内に入る時は、マオリの儀式に従って客人を出迎える挨拶から始まり、互いに鼻を擦り付けて信頼を確認してようやく足を踏み入れることを認めてくれました。

 不法占拠の違法性について尋ねると、「自分たちの土地で暮らす権利を取り戻しているだけだ」と明快に説明します。占拠しているグループのみんなと食事していると、「買ってもらえれば運動の資金になる」と話し、見せてくれたTシャツの胸元にはマオリ語で「私たちの土地」とプリントしていました。シャツ一枚を購入しました。

 その後、不法占拠した彼らは警察に逮捕されました。「逮捕は覚悟している」と話していましたが、英国の植民地政策とマオリの窮地を考え合わせると、今でも心が痛いです。その後、エリザベス女王がニュージーランドを訪問した際、過去の植民地政策について謝罪しました。正直、驚きました。しかし、それが現在のニュージーランドの先住民政策、さらに多様なジェンダーなどを視野に入れた現在の多文化社会を支えているのでしょう。

伝統を守ることに不思議はない

 当時、オークランド大学のランガヌイ・ウォーカー教授にお会いしました。教授はマオリで、民族の文化や伝承の権威として知られていました。教授は「話だけでは理解できないから」といって大学の近くにあるマオリ民族が伝承した通りに彫刻などを施した集会場などを回り、笑いながら教えてくれました。「日本でも同じでしょう。自然にたくさんの神様がおり、私たちはみんなと一緒にいつも大事にしていく」。民族が継承する伝統を守り、未来に引き継ぐことは何の不思議もないことだと説明します。そして「美味いビールを飲もう」とランチに誘ってくれました。

 日本の先住民アイヌの人たちの中にも、民族として継承した鮭や熊の狩猟が制限されている現状に対し抗議の意味を込めて漁業権違反を承知で鮭を採っている人がいます。先祖からの教えに従って自然の恵みに感謝しながら、生活することを禁じられるのはおかしいと説明します。

 「ゴールデンカムイ」の主人公アシリパは、自然を敬い、狩りで手にする命に感謝すると繰り返し話します。原作の舞台は日露戦争後。「100年以上も前の出来事を今、持ち出しても」と理解できない人がいるかもしれません。

 多文化社会は、お互いに尊重し合う文化・習慣があることを認めることから始まります。先住民のみならず移民、ジェンダーなど異質と思える相手とどう向き合うかの距離感を確認することが第一歩です。原作の漫画、テレビ・アニメ、そして映画。どれでも良いです。自分たちが想像できない文化や生活習慣を非難せずに、一緒に体感する楽しさがあることを知ってほしいです。とっても面白いですよ。

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