政治部の派閥記者はどんな胸中?「みざる、きかざる、いわざる」?

 「ワイン1本、5万円なんて当たり前。20万円の時もある。お金がかかるんだよねえ」

ワイン1本20万円の時も

 ある新聞社の政治部記者のぼやきです。彼の担当派閥は安部派。もっとも、ぼやきなのか、自慢なのか。派閥の表も裏もほとんど知らない私はどう答えて良いのか戸惑いましたが、「そんな高いワインを注文しても、人数を多ければすぐにボトルは空いちゃうじゃない?」と訊ねました。彼は笑いながら、「永田町界隈の相場だから、ワインを頼んだら高いワインしか出てこないんだよ」とうれしそうに教えてくれました。当時は安倍派全盛の頃、選ばれし者の矜持が見え隠れしていました。

 もし事実なら、宴席の費用は合計でいくらまで膨らむのでしょうか。幕末、明治維新の偉人と呼ばれる人々が画策を練る時は京都・祇園などの料亭で飲み食いしながら、談義していました。木戸孝允は馴染みの料亭の女将から祇園の夜の情報をかき集めていたという逸話を聞いたことがあります。今でも政局となれば、派閥の領袖らは高級レストランか料亭へ向かいます。「政治と高級飲食はセット」が政界の常識なのでしょう。

 私も企業取材で社長ら経営トップと宴席を同席する機会がありましたが、1本5万円のワインは飲んだことはありません。冗談半分で「こちらがご馳走します」と言うと、「会社からいただいているお金を粗末にしちゃいけない」と叱られたことがあります。高級フレンチにいやいや連れられたことはあります。その会社は政府系の石油会社。国が絡む商談になると、やはり食事代が高くなるのでしょうか。あとで値段を聞いて後悔しました。

 そういえば、外務省のある官僚がポロッと漏らしたことがあります。「大臣の外遊などの際に空いた時間ができると、麻雀をすることが多い。これが大変。振り込まなきゃいけないからお金がかかってしょうがない」。何を意味しているかわからなかったので、「なんでお金がかかるの?」と訊ねると、「政治家相手に勝っちゃいけないんだ。相手が『ロン』といえる上がり牌をわざと振り込んであげなきゃいけないだよ。こちらが負けて相手が勝つ。まあ、ご接待。そうしたら勝利の祝杯をあげなきゃいけないでしょう」と苦笑します。

政治家の仕事はお金がかかる?

 政治家の仕事って、つくづくお金がかかる生業なのだと痛感したものです。麻雀やゴルフでお金を賭けるのは御法度ですが、ゴルフ場などでは当たり前の光景。お酒を飲んだり麻雀で遊んだり。どちらも遊びですが、政治家の皆さんは麻雀に興じている時間も「お金」にしなければ、活動できないのかもしれません。

 数年前に検察庁の幹部が新聞記者との賭け麻雀で自らの将来を失う不祥事がありました。取材相手と親密になると、友人と取材先の境目が分からなくなり、社会常識と職業倫理が「グレーゾーン」に埋没してしますことがあります。食事などごちそうになった場合はこちらが支払える範囲、あるいは社会常識に従って「お返し」をするのが礼儀です。たとえ親しい取材相手とはいえ、新聞記事にすべきネタが目の前にあったら記事にするのが新聞記者。取材相手との緊張感、距離間は記者商売に必須ですし、失ったらおしまいです。

 冒頭の安倍派担当記者の場合も派閥内の情報を取るためには、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の極意に従ったのでしょう。その苦労は報われ、成果を得ていたようです。なぜなら、彼は安倍派記者として他紙の記者仲間でも重宝され、ガセネタと思われる偽情報でも大事に扱われていました。派閥内から漏れる情報は、ガセネタも重要です。なぜ偽情報を流すのかが、次の展開の手掛かりになりますから。

政治部記者は政治家を育てる?

 読売新聞の高名な政治部記者もである渡邉恒雄さんは、政治部記者が政治家と一体化することを当たり前のことだと考えています。国の将来を描く政治家を育て、首相するのは新聞記者だと心得ていたようです。テレビ、新聞、書籍などで誇りを持って説明していました。

 政治部記者は、政府、政治家、霞ヶ関に深く入り込んでいます。新聞社の経営の視点で見ても、必要な存在です。テレビ放送などの権益を確保するために政治部記者の人脈が活きるからです。例えば、かつての郵政省には政治部出身の記者が特別な職名である「〇〇委員」の名詞を持って出入りしていました。彼はテレビ・ラジオの電波を管轄する郵政省との交渉役を演じるため、「波取り」と呼ばれていました。

 自民党派閥の政治資金パーティーを巡る事件は、どんどん事態が進んでいます。安倍派の清和政策研究会所属の池田佳隆衆院議員は、政治資金規正法違反容疑で逮捕されました。派閥から計約4800円のキックバック(還流)を受けて裏金化し、政治資金収支報告書に記載していなかった疑いが持たれています。立件される議員はまだまだ増えそうな気配です。

「政治部記者なら知っている」

 派閥を巡る裏金事件を政治部記者はどう伝えていくのでしょうか。かつて文藝春秋が田中角栄氏の資金問題を報じた時、「政治部記者なら以前から知っている」と政治部記者が話したそうです。もちろん、聞いたことをなんでも記事にしていたら、取材相手との信頼関係は失われます。政治部記者の胸中はわかります。

 しかし、原点を忘れるわけには行きません。なぜ新聞記者は時の権力者や大企業の社長らと会えるのか。多くの人はそう簡単に会えません。それは伝えるに値する情報を探り、多くの国民に必要と判断したら伝える役割を担っているからです。

 新聞記者も人の子です。誰が首相になるのか、どの派閥から輩出するのか。安倍派に限らず派閥担当記者は自らの社内出世にも関わります。ロッキード事件によって、三木武夫氏が首相になった時、三木派の担当記者は号泣したと聞いています。自民党内で最弱の派閥担当ということは、政治部内でも最弱の記者との評価です。社内の人事評価も低くなります。それが一転、首相派閥に躍り出ます。最弱が最強に転じる。派閥を応援したくなる気持ちはわかります。しかし、派閥担当の辛さは理解したいのですが、名刺を見れば「記者」と書いています。名刺は持ち主に問いかけているはずです。

 「どうするの?、新聞記者でしょ」安倍派記者の胸中はどうなのでしょうか。どんな記事を書くのでしょうか。

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