京都議定書から30年後に排出権取引がスタート 1世代遅れの環境政策は世界から取り残される
日本の排出権取引が本格的に動き出すようです。経済産業省が開催する有識者会議で排出権取引制度の具体的なロードマップが示され、2026年度ごろにスタート。CO2を排出する化石燃料を輸入する企業に対し一定の負担を課す賦課金制度を28年度ごろに加わります。排出権取引は、CO2など温暖化ガスの排出を抑制する切り札として海外ではすでに排出権を取引する市場が設けられ、拡大しています。日本はようやく重い腰を上げた形ですが、あまりにも遅すぎます。
経産省の「GXを実現するための政策イニシアティの具体化について」
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sangyo_gijutsu/green_transformation/pdf/011_01_00.pdf
京都議定書は1997年のCOP3で
排出権取引が温暖化ガスの排出削減と手法として定めたのは京都議定書。1997年12月、京都で開催したCOP3(気候変動枠組条約締約国会議)は温室効果ガスの排出削減について、先進国に対し率先して努力するだけでなく法的拘束力のある数値目標や削減手段などを定めました。
COP3は地球温暖化に対応する国際的な枠組みが初めて合意した世界史に残る国際会議として位置付けられ、合意事項は開催地の名前から「京都議定書」と呼ばれ、その後のパリ協定とともに地球温暖化対策を議論する際にたびたび登場します。その名誉に冠したことに対し、京都府は2010年に鴨川河畔に記念する広場を整備し、象徴するモニュメントを設置しているほどです。
京都にはモニュメントも
その京都議定書で示された削減に向けた3つの枠組みは京都メカニズムとも呼ばれ、排出権取引はその一つに選ばれています。ところが、京都を冠しているにもかかわらず、経産省のロードマップによると日本で排出権取引が本格的に動き出すのが2026年度ごろ。「ごろ」ってちょっと驚く曖昧な時期の提示ですが、それを飛び越えて驚かなければいけないのは開始時期がCOP3開催から29年後の歳月が流れることです。企業に一定の負担を求める賦課金制度が28年度ごろですから、制度が本格的に機能し始めるのは30年以上あと。一世代が交代する歳月が必要だったのでしょうか。
排出権取引は京都メカニズムのひとつ
排出権取引の仕組みは簡単に言えば、排出量を株式と同じように金銭的な権利に見立てた市場です。国や企業にあらかじめ排出量の枠が設定され、その排出枠を上回ると超過分を負担します。一方で排出量を超過せず排出枠を残している企業もあります。排出量を超過したは企業は、枠を残している企業から権利を購入して、超過分を相殺します。
排出量の目標全体は削減したように見えますが、実際は超過した企業が存在するわけですし、排出枠を購入しさえすれば排出削減に努力しない事例も出てきます。本当に排出削減できるのか。その実効性に対する疑問の声は消えませんが、2002年に英国で市場取引が始まって以来、CO2の排出権を対象にした世界市場は拡大し続けています。
排出権取引は30近くの国・地域で
2021年の資料によると、世界で64か国・地域で炭素税や排出量取引制度が導入されており、排出権取引は29を数えます。日本政府や経済界が消極的な炭素税は35の国・地域で採用されており、スウェーデンやノルウェーなど北欧諸国やスイス、フランスは炭素税、排出量取引制度いずれも採用しています。
日本でも排出権取引は1990年代後半から政府や企業などが制度の枠組みを検討していましたが、国全体の制度はありません。現状は東京や埼玉などの自治体単位で実施しているほか、環境省などが実験的な取り組みを実施したり、企業が独自の仕組みを設け、排出権を取引している実績ぐらいです。
日本は検討するが、具体化が進まず
なぜ日本の取り組みが遅れたのでしょうか。排出権の取引は、CO2を大量に排出する企業にとって大きな経営負担になります。化石燃料を使用、あるいは輸入するのは電力、自動車、商社など日本の主要企業が名を連ねる産業ばかりです。いずれの産業も環境問題の取り組みに熱心ですし、今の言葉で言えばESGやSDGsでリーダー役を果たしています。
日本全体でも温暖化ガスの削減に向けた技術開発や経営改革は進んでいます。大企業を中心に環境を重視した経営をアピールし、人材採用でも企業イメージを高める施策として多用されています。
日本の政府・大企業の本気度が問われ続けた
しかし、排出権取引は国としてはまだ未熟なまま。炭素税は経団連などが強い抵抗を示しています。化石燃料などで炭素税は課せられていますが、世界の炭素税に比べればわずかな負担です。失礼ですが、フィンランドやスウェーデンなど北欧と比べて本気度が違い過ぎます。
日本のエネルギー政策は戦後、電力会社を主導に進められていた時期があります。2011年の東日本大震災で福島第一原発事故が発生し原発がストップしましたが、それまでは日本の脱炭素政策の中核には原発が位置付けられていました。
世代交代しなければ、環境政策は進まない?
日本の環境政策は「昭和世代」から変わらず継承されている、といわざるをえません。京都議定書という歴史的な成果を日本から発信しながら、その成果を手にすることに躊躇し、世界から取り残されているのが日本の現状です。日本の環境政策が世界レベルに追いつくためには、世代交代という手順が必要だったのでしょうか。
京都議定書から30年かかって、日本にとって排出権取引という新しい挑戦が始まる。その時はすでに世界では当たり前のことでしょう。置いてきぼりを食った日本の姿が際立つだけは避けたいです。