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積立王子が問う「貯蓄から投資へ」「NISA」は顧客本位を死守できるか

 「積立王子」。ホント、ピッタリのニックネームだと思います。中野晴哲さんです。1987年に入社したクレディセゾンで資金運用事業に携わり、2006年にセゾン投信を設立。翌年の2007年に社長に就任しました。事実上の創業者です。10年以上も前に仕事でご縁があり、一緒に講演したり投資セミナーやテレビ番組などの出演をお願いしました。物静かな口調で投資信託の重要性と将来性を語りながらも、自らの投資哲学を何度も何度も説きます。セミナーの会場は全国各地で開催しましたが、必ずといって良いほど出演を快諾していただき、飛び回ってくれました。投信にかける熱意に脱帽しました。

セゾン投資の中野さんはブレない

 持論は長期的な視点を堅持し、投資先を分散させて地道に積み立てること。デイトレーダーのように短期で稼ぐ発想は全くありません。あるセミナーで短期的な売買で稼ぐ人気投資家と対談してもらったことがあります。会場は500人の聴講者でびっしり。相手が派手なパフォーマンスで短期売買の良さを訴えるのに対し、中野さんはその勢いに押されながらも長期投資の確実性を説き続きます。

 会場の多くは短期売買による利益に関心がある聴講者。中野さんは劣勢の雰囲気にもかかわらず、ていねいに、しかし確信に満ちた言葉で「長期的に投資を積み立て続けることが、20年後、30年後に納得できる結果をもたらします」といつも通りに静かな口調で説明します。彼の芯の強さを垣間見た思いでした。

 中野さんはセゾン投信を資産6000億円規模に育てましたが、親会社クレディセゾンと経営方針で対立し、23年6月に事実上解任されました。9月に「なかのアセットマネジメント」を設立、年度内にも新たな投信運用を始めるそうです。投信は日本株と世界株の2本。高い人気を集める指数に連動するインデックス型ではなく、運用担当者の裁量で成績を上げるアクティブ型を継続します。応援したい企業に投資する澤上篤人さんの「さわかみファンド」を目標にしているためか、社会に役立ち大きく成長する企業を見極めて投資先を選別するそうです。

NISA拡大で個人投資家の裾野は広がるが・・・

 中野さんがクレディセゾンと袂を分つ背景には人知れぬ多くの理由があると思いますが、1つには2024年から拡充するNISA(少額投資非課税制度)があるはずです。非課税保有期間の無期限化、口座開設期間の恒久化、つみたて投資枠と成長投資枠の併用、年間投資枠の拡大と個人投資家にとって利用するメリットを広げました。

 岸田政権は「資産所得倍増元年」と位置付け、「貯蓄から投資へ」を連呼しています。首相官邸のホームページには岸田首相のメッセージとして「人生100年時代」の到来で「個々人の生き方、働き方も多様になり、それぞれのライフプランにあわせた資産形成が重要になっています」「皆様が、ご自身のライフプランにあわせた資産形成を進められるよう、政府一丸となって取り組んでいきます。このため、NISAを抜本的に拡充しました」と説明します。

政府の音頭取りには違和感

 「貯蓄から投資へ」と言われても、投資する資産を保有している富裕層はまだしも、余裕のない所得層にとっては別の世界の話。政府の仕事はまず「人生100年時代」に合わせて社会福祉政策を充実するのが最優先で、政策が追いつかない、不足している支援策を個人が自ら補う自主努力を迫る形で「投資」を呼びかけているように聞こえ、NISAを巡る話題はかなり違和感があります。

 しかし、NISAの拡大は、金融のみならず携帯電話やネットサービスなど情報通信会社を巻き込んで一気に加速し始めています。SBI証券が手数料の無料化を決めると楽天証券が追随。携帯電話会社もNTTドコモがマネックス証券を子会社化するなどさまざまな業種が手を組んでNISA拡大で創出される新たな個人投資家のマーケット取り込むのに必死です。

 個人投資家の保護が心配です。かつて証券業界は収益を上げるため、株式の売買数を増やす「回転売買」に突っ走り、個人投資家に損失を与える不祥事を起こしました。NISA拡大はより危うい状況を招きかねません。金融の知識が乏しい、あるいは未経験の人が株式投資に手を広げるのですから。制度として明快に説明されているとはいえ、自身の判断で投資案件を考え、決定できる人はどの程度いるのでしょうか。

数字を追うあまり、回転売買の再来も

 しかも、これだけ政府も含めて大々的にぶち上げた新制度です。いずれの資産運用会社は結果重視に突っ走ります。数字の積み上げに努力するあまり、顧客の安全投資を蔑ろになってしまう恐れはないのでしょうか。積立王子こと、クレディセゾンから事実上解任された中野さんの弁を聞いていると、親会社はこれまでの長期的な積み立て投資では飛躍的な数字を期待できないと判断したようです。これは一例に過ぎません。

 2024年以降、数字がまずありきの営業が前面に出て、かつて証券業界の収益を支えた「回転売買」の再来も考えられます。積立王子の解任騒ぎは、金融業界が顧客本位の姿勢を死守できるのかどうかを占う予兆として起きたのかもしれません。金融業界が顧客本位を忘れるわけがないことはわかっています。残念ながら時々、異なることが起こるのも事実です。損害保険ジャパンとビッグモーターによる自動車保険の不正請求を思い出してください。NISA拡大で顧客本位が死守されるのかどうか。不安を覚えるのは不思議じゃありません。

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