能登原発から志賀原発へ40年間続く活断層論議 新増設の難しさを思い知る

 石川県の志賀原子力発電所が再稼働に向けて、大きなハードルを乗り越えたのかもしれません。原子力規制委員会は2023年3月に開催した審査会合で志賀原発の建屋直下を走る複数の断層を「活断層ではない」とする北陸電の説明を了承しました。2016年、規制委の調査団は「活動した可能性がある」と判定し、志賀原発は再稼働の道を絶たれていました。

志賀原発の活断層は40年前から

 北陸電は2016年の判定を覆すため、新たなデータを追加提出。規制委は改めて審査していました。今後、建屋の耐震対策や津波対策などの審査が待っていますが、志賀原発は再稼働に向けて一歩前進したのは間違いありません。

 志賀原発の直下を走る活断層。懐かしい話題です。1982年から85年までの3年間、金沢に住み、北陸3県を取材していましたが、最大のテーマは原発でした。福井県は「原発銀座」と呼ばれるほど集中立地していましたが、能登半島でも建設計画が動いていました。

 建設予定地は石川県志賀町の赤住地区。当時は能登原発と呼ばれていました。能登半島では原発以外にも石炭火力など電源立地計画が続き、能登半島を駆け巡る取材に鍛えられました。建設予定地の住民、海域に面する漁協、町長や県議、電力会社などの取材を重ね、すべてが記者としての血と肉となり、第一号機の原子炉の基本設計などを特報で伝えることができました。すべてがその後の記者人生の支えになりました。

 そんな時、「能登原発の建設予定地直下に活断層がある」。正確な年月日は忘れましたが、当時、NHKが特ダネとして報じました。NHK記者の1人は、「原発は建設させない」と明言するほど確信を持っていました。

北陸電と石川県は2人3脚で推進

 北陸電はもちろん、推進する石川県などはてんやわんや。原発建設予定地は地質、環境など数多くのアセスメント調査を経て決定します。堅固な地盤は原発の安全性を担保する条件でも最も重視されます。それが地震を招く可能性を否定できない活断層が真下にあるとされたら、とても建設できません。

 北陸地区は首都圏、関西と違って電力需要の伸びがあるわけではなかったため、新たな原発を建設する必要がないといわれていまいした。しかし、北陸電力は沖縄電力を除く9電力会社のうちで唯一原発を稼働させていません。能登原発を推進する背景には「北陸電力のメンツに過ぎない」との批判も聞こえていました。

 北陸電や石川県はその後、二人三脚で建設に進みます。地元の住民や漁協の強い反対にあい、宙に浮いていた海域調査を北陸電力に代わって石川県が肩代わりして調査を強行します。建設当事者に代わって自治体が調査することは、利害や中立性の視点からいって本来あり得ません。この情報を得て県にぶつけた時、責任者は「あんた書いたら、たいへんなことになる。ちょっと待て」と言われ、1日待ったら県が発表。今でも悔しい思い出です。

能登から志賀へ名称を変え、建設へ

 1988年12月に能登原発から志賀原発に名称を変更。建設計画は走り始めます。1993年10月、第1号機が稼働。2006年3月には第2号機も運転を始めます。2011年3月の東日本大震災、東京電力の福島第一原発事故の後は運転を停止したまま。

 2012年7月、原発の安全運転を巡る検討の中で活断層が再び浮上した時、「なにを今さら」というのが正直な気持ちです。1982年ごろに指摘された活断層の存在は、否定され続け、原発稼働に向けてひた走ってきたのですから。

 それが30年ぐらい過ぎてから活断層が議論にされ、一度は存在が認められ、再び否定される。岸田首相が2011年以降、封じ込めていた原発推進政策を大転換し、新増設などを打ち出した影響でしょうか。

年1基のペースで新増設する意見もあるが

 40年間の長い歳月を経ても、明快な結論を出せない。活断層はその一例にすぎないのです。巨大地震・津波対策など予想を超える天災だけではありません。使用済み燃料の最終処分、核燃リサイクルなど結論が見えず、事実上棚ざらしになっている原発独自の問題がいくつも残っています。

推進論議は現実を直視して

 CO2削減など気候変動に有効なエネルギーとして原発推進論が再燃しています。有識会合に参加した委員には年に1基のペースで建設すべきと唱える人もいます。机上の空論と批判する気はありませんが、原発建設・稼働の現実は「活断層」の一事でわかるはずです。

 40年間過ぎても、稼働できない原発があるのです。しっかりと直視してください。

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