福島第1原発事故

石油危機から50年 「省エネ」で世界を極め、「脱炭素」で世界に出遅れ

 石油危機から半世紀が過ぎました。1973年10月、第4次中東戦争が起こり、世界の原油生産を握るアラブ各国は減産と輸出価格を大幅に引き上げます。年明けの1974年1月には原油価格は4倍に高騰。世界経済は根底から揺さぶられました。当時、日本が使用するエネルギーの4分の3は石油。そのほとんどは中東から輸入していました。CO2などによる地球温暖化はまだ議論のカケラもない頃です。日本は限られた化石燃料でいかに経済を維持するのか。日本の省エネの歴史は50年前、始まりました。

原油価格は4倍に高騰

 原油価格が4倍に跳ね上がれば、石油関連商品や電気料金も急騰します。消費者物価指数は1972年の前年比4・9%増でしたが、1973年は11・7%増、1974年は23・2%増と飛び跳ねるように急上昇。もちろん、政府も電力業界も節電を呼びかけ、1974年1月には、戦後初の電力使用制限が発令される事態に追い込まれました。銀座など繁華街のネオンや広告灯などが消えた光景を覚えている方も多いはずです。

 1979年に「省エネ法」がスタートします。産業、民 生、運輸の各部門別にの省エネ基準が設定され、達成を義務付けられました。日常生活、企業活動すべてで省エネが奨励され、目標達成に走り始めました。省エネという新しい市場が誕生し、製造業を中心に技術開発と新製品がどんどん投入され、省エネそのものが需要喚起の牽引力になります。

省エネ効率は欧米の2倍

 その結果、日本は省エネで世界一の座を極めます。2007年の「GDP当たりの一次エネルギー消 費量」を参考に日本を基準に主要国と比較すると、EU(欧州連合) と米国は日本の約2倍、インドは 約5・5倍、中国は約8倍、ロシアは約17倍と頭抜けた省エネ基準に達しています。

 日本は目の前に得意な技術を磨き、極めるのが巧みな国です。「省エネ」をまるで重箱の隅を突くよように精緻に仕上げ、他国がとても真似ができないレベルに引き上げました。

 並行して石油偏重のエネルギー構造を改め、石油への依存率は1973年度の75・5%から2010年度には40%程度まで引き下げることに成功しました。ただ、石油の代替エネルギーとしてLNG(液化天然ガス)や石炭の利用が増えたため、化石燃料の依存度はさほど大きく低下はしていません。1973年度は94・0%でしたが、ほぼ40年後の2010年度で81・2%。10ポイント超減少しただけです。

石油離れと脱炭素の切り札は原発

 忘れてはいけません。原子力発電も大きな役割を果たしました。化石燃料への依存度を低下できるうえ、中東など特定地域に偏らないエネルギー調達網を構築し、第3、第4の石油危機に備えることもできます。しかも、2000年代から地球温暖化の主因となるCO2など温暖化ガスを抑制するため、化石燃料を使用しない原発の役割は一段と重要になりました。日本のカーボンニュートラル政策を実践するためにも、エネルギー全体の3割程度は原発で賄う目論見でした。

 しかし、2011年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第1原発事故が発生します。日本の原発はすべて休止し、新増設計画もストップ。再稼働は徐々に始まっていますが、まだ本来の目標には程遠いレベルです。

 カーボンニュートラル、言い換えれば脱炭素を達成する経済構造への移行は急務です。欧州は原発政策を堅持するフランスを除き、太陽光や風力など再生可能エネルギーへシフトしています。日本も太陽光発電の設備を増やしていますが、国全体のエネルギー需要を賄うにはまだ不足です。

再エネ比率はドイツの半分

 主要国の再エネ比率を資源エネルギー庁のデータで見てましょう。まず日本は18・0%。ここでがっくりするかもしれません。再エネ先進地域を見ると、ドイツの35・3%、英国の33・5%はじめ欧州はフランスを除き、軒並み30%を超えます。北米ではカナダが66・3%。世界最大の石油産出国である米国は、国内の政治・経済事情が足枷になって16・8%。石油や天然ガスが豊富な米国と比べても仕方がありませんが、日本をわずか下回ります。中国は25・5%。日本を上回る数字ですが、CO2を大量に排出する石炭火力の比率は66・7%もあり、カーボンニュートラルの議論にもなりません。

 各国事情それぞれありますが、日本が脱炭素で出遅れているのは明白です。世界一と自負する省エネ技術を過信し、脱炭素シフトに躊躇した面もあります。また、世界でもトップクラスの技術と建設技術を誇った原発の比率を高める政策を修正できないこともあります。

過去の成功体験を捨て、挑戦する勇気を

 脱炭素は、再生可能エネルギーの施設を増やせば達成できるものではありません。送電網、電気を利用方法など経済活動を大きく変革する勇気と投資が欠かせません。日本は過去の成功体験をスッパリと切り捨て忘れることが不得意な国です。従来の政策をズルズルと引き延ばし、結局は変革のチャンスを逃しています。日本の脱炭素が世界から出遅れているのは、変革に挑戦する勇気を持っていない証左といえます。

 石油危機から50年、省エネで世界一の座を占め、日本経済も世界第2の大国になりました。しかし、世界のエネルギーは省エネから脱炭素へ大きく舵を切り、新たな挑戦を求められています。脱炭素の流れに取り残されるのと軌を一にするかのように日本経済は沈下し始めています。しかし、日本のエネルギー政策は福島第1原発の緊急事態宣言が発令された2011年3月11日19時3分から時計が止まったまま。誰が時計の針を動かすのか。

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