長寿の亀が日向ぼっこ

「お代は1,040円」「2,000円からならお釣りは840円ですね」お団子店での出来事です

春のお彼岸である3月21日、おはぎやお団子を買いに行きました。近所においしいお店があるのですが、案の定お客さんが並んでいます。小さなお店です。お団子やおはぎ、太巻きなどが並んだガラスケースの向こう側にはお母さんと息子さんのお嫁さんが立ってお客さんの注文をさばき、店奥ではお父さんと息子さんが店頭の動きを気にしながらお団子などを作っています。

お団子店で落語の「時そば」が始まりそうに
 住宅街にあるお店ですから、お客さんの大半は高齢者。いろいろ注文した後、「あれ、幾つ注文したかな、練りあんもお願いしたかしら」など正確な注文の個数が途中で不明になることも。お店の方も注文と取り出した商品の個数が合わなかったり支払い代金が食い違ったり。後ろで並びながら、微笑ましいやらどう注文したら正確にわかりやすく伝えられるのかと不安になったり。私の順番が来ました。お団子は何本、おはぎは何個とわかりやすく伝えたつもりでしたが、息子のお嫁さんは全部1個ずつと勘違いしてプラスチックのパックに詰め込みました。お母さんは「違う、違う。もうひとパック作って」とやり直しを指示した後、代金は1040円と私に。手元に千円札しかなかったので2枚渡します。

お店のお母さんは「2000円からですね、お釣りは840円」と小銭を取り出そうと振り返っている間、こちらは「2000円引く1040円は960円だよね」と頭の中で960円という数字が浮かびます。でも、普段から暗算で引き算足し算をしませんから、暗算に自信がありません。まあ、お釣りの小銭を揃える時に気づいてくれるかなと思っていたら、「はい840円」と言いながら、740円が目の前に。さすがに「お釣りは740円ではない」と確信できたので、「960円じゃない?」と返したら「あ、そうですね」とお母さんは100円コインを3枚足します。「お釣りは多すぎですよ」ともう一度告げると「そうかな」とお母さんは100円硬貨はそのまま。「時そば」じゃあるまいしお釣り代金で儲けるわけにはいかないので、「960円だから、100円硬貨を一枚戻して10円玉を2枚ください」。かなり複雑な硬貨のやり取りを繰り返す羽目になりました。

このお釣りのやり取りで思い出したのは昨年、治療で通った病院での出来事です。

病院でも老夫婦が戸惑うやり取り

「良いですか、薬の種類は多いですがここに書いている通りに必ず飲んでいください。忘れないでくださいね」と看護師さんはお年寄りのご夫婦にていねいに何度も説明しています。車椅子に座る奥さんは説明をよく理解できないようですし、ご一緒の旦那さんも「どの薬がどれかわからないなあ」とつぶやくばかりです。看護師さんは続けて「体調が回復してきたら、次の治療に入ります」と説明しますが、ご夫婦は戸惑いの表情を隠せません。医師の説明はすでに聞いているはずです。しかし、果たして自分らがこれから受ける治療がどう進められるのか理解できているのか。私自身も昨年に高齢者の仲間入りしています。とても他人事とは思えませんでした。

高齢化社会という字句が飛び交い、どのくらい年月が過ぎたのでしょうか。今や人生100年時代などと元気な老後の掛け声も勇ましく響き渡ります。しかし、治療や薬など医療面の発展だけが独り歩きしても、我々高齢者の頭脳はどんなに詳しく説明されても専門知識を理解する力を失いますし、それを意思表示する力も衰えます。こんなこともありました。近くの診療室で医師が高齢の男性患者さんに手術の内容を説明している時に患者さんの携帯電話が鳴りました。男性は電話でしばらく話をした後、医師に「すいません、妻からの電話でした。体調がおかしいので検査を受けたら乳がんが見つかったそうです。自分の手術と近い日程で治療を開始するようなのですが、どうしましょうね」。医師はしばらく沈黙。男性患者も沈黙。偶然聞いてしまった私も言葉を失いました。

自分が高齢者になって初めて気づくことが多い

日本の高齢化社会は医療技術の進歩に支えられて世界一の長寿国家になりましたが、治療を受ける我々は何がどうしてどうなるのかを理解して長生きしていけるのでしょうか。お団子を買うようになんとか帳尻が合い、「おいしい」と感嘆できるならうれしいです。でも、なんか知らないけれど長生きしているっていうのが代償として目の前に突き付けられるなら帳尻は合いません。「クオリティ・オブ・ライフ」は手術や治療だけで使われる言葉ではない。ようやく高齢者になってわかってきました。

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