「列島改造」「堺屋太一」「地方創生」昭和の復刻版は「楽しくない日本」
明日の日本はセピアカラーに染まってしまうのでしょうか。石破首相が衆参両院の本会議で示した施政方針演説には「日本列島改造」「地方創生」「田中角栄」「堺屋太一」など懐かしい政策や人物名が登場しました。まるで高度成長期の繁栄を謳歌した昭和を恋しく思い出し、再現を願っているようです。この30年間、経済も社会も足踏みを続け、世界第2の経済大国の地位からずるずると後退し続けた日本。教訓はどこに反映されているのか。石破首相は「楽しい日本」を唱えていますが、とても楽しめそうにありません。
施政方針はセピアカラー
石破首相は施政方針演説の冒頭、2025年を戦後80年、昭和の元号で100年に当たる節目の年と捉え、「これまでの日本の歩みを振り返り、これからの新しい日本を考える年にしてまいります」と口火を切りました。少子高齢化に歯止めがかけられず人口減が進んでいる現状について「生産年齢人口は、これからの20年間で1500万人弱、2割以上が減少すると見込まれてます」と危機感を強調しました。
「その通り」と合いの手を打ちたいところでしたが、「現実を直視しなければなりません」との認識の下に提示する政策に移るとがっかり。首相の持論である地方創生を実践するため、「令和の日本列島改造」を掲げ、政府機関などの地方移転、地方イノベーション創生構想などを披露します。いずれもこの30年間以上にわたって繰り返され、頓挫している内容ばかり。「それじゃダメ」と野次を飛ばしたくなりました。
しかも、政策を支えるのが2人の人物。「田中角栄」と「堺屋太一」。令和の列島改造論の由来は、田中角栄氏が1972年に出版した「日本列島改造論」。出版直後に首相就任したこともあって第ブームを巻き起こしました。書籍の内容は、日本の交通、通信など国のインフラ整備を軸に多角的に提案しています。ゴーストライターが通産省次官にもなった小長啓一さんといわれていますから、改めて読むと昭和、平成で実行された産業政策が先取りする形で描かれています。
50年前の国づくりを手本に?
でも、もう50年前の発想で築き上げられた国づくりです。新幹線など世界で高く評価されるインフラを構築したのは事実ですが、政策としては賞味期限を過ぎています。公鉄鋼、自動車、電機、半導体など経済の根幹となった産業政策にも成功しましたが、今や産業力は韓国や台湾、中国に追い抜かれる寸前。公害はじめ東京への一極集中、少子高齢化など多くの社会の歪みを招いたのも事実です。
「堺屋太一」もがっかりです。首相はめざす明日の日本像として明治の「強い日本」、高度経済成長の「豊かな日本」に続き、「楽しい日本」と唱えますが、その発想の原点は堺屋太一氏の著書から引用です。
確かに今、堺屋氏の大胆な発想は必要かもしれません。彼は異能な通産省官僚として大阪万博、沖縄海洋博などのビッグプロジェクトを提案する一方、作家としても「団塊の世代」など日本の将来を描き、大胆な政策実行を唱え続けた人物です。1998年には経済企画庁長官に就任するなど「国のカタチ」を提案し、警鐘し続けました。
当時は敗戦後の復興を支える活力として堺屋太一さんが広げる大風呂敷は必要でした。欧米に追いつけ、追い抜けの時代には、日本国民を鼓舞し、経済成長にエネルギーを集中する効果はありました。でも、時代は変わりました。経済第2の大国から中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、近くインド、インドネシアに追い越されます。残念ながら、堺屋太一さんが唱えた日本の未来の残照を仰ぎ見ても、センチメンタルな気分に浸るだけです。司馬遼太郎「坂の上の雲」を眺める心境と大きくかけ離れてしまっています。
処方箋が見当たらない
石破首相は平成26年に初代地方創生相を務めた思い入れもあるのでしょう。「楽しい日本」を実現する政策の核心として「地方創生2・0」「令和の日本列島改造」を強力に進めますと言います。いずれも手垢がついており、「2・0」というよりも「ー1」。ゴジラ映画なら楽しめますが、現実とは違います。首相も霞ヶ関も新しいビジョンを描けないのでしょうね。そういえば田中角栄さんは日本列島改造論に「国土開発の処方箋」と帯に明記していました。令和の日本に50年前の処方箋を持ったまま、「楽しい日本」ができるとは思えません。