サントリーでも10年が必要だった社長交代 トヨタ・キヤノンと違う創業家の継承力
「佐治さんがクビにしろって言えば、新浪さんのスキャンダルを掲載する準備はできてますよ」。苦笑しながら、大手週刊誌の編集長を務めた大手出版社の某局長が教えてくれました。10年前の2014年10月、サントリーホールディングス社長に新浪剛史氏が就任した直後です。
「新浪氏はいつでもクビにできる」と某週刊誌
新浪氏は三菱商事に入社後、ハーバード大学でMBAを取得。コンビニエンスストアのローソン社長として活躍していました。サントリーの佐治信忠社長は、創業者の鳥井信治郎氏のひ孫である鳥井信宏氏を後継者として育成するため、その中継ぎとして新浪氏を選びました。「プロの経営者」を自任していただけに、社長就任を契機にサントリーを乗っ取る野望は持ち合わせていません。自身のキャリアップ、高収入が保証されれば、鳥井信宏氏を後継者として育てる覚悟でした。
万が一にでも佐治社長、佐治、鳥井両家で構成する創業家の意向に反することがあれば、クビにすれば良いだけ。冒頭の元週刊誌編集長の言葉は創業家の思いを漏らしたものでした。裏を返せば、サントリーにとって新浪氏は番頭さん。旦那の目論見通り、サントリーを世界企業として強くしてくれれば良いのです。裏返せば、サントリーはファミリービジネスからの脱皮が急務だったのです。
キリンとの合併は創業家一族が反発
2009年7月、サントリーはキリンビールとの合併を検討するニュースが驚きを持って伝わりました。当時の社長は佐治信宏氏。ウイスキーやソフトドリンクなどで高いシェアを握るサントリーでしたが、強さを誇る国内市場は人口減やアルコール離れなどで先行きに限界がみえます。海外事業の拡大は必須です。しかし、巨大な海外のライバルに比べれば、経営規模、収益力、国際戦略で力不足。合併相手のキリンはオーストラリアやアジアを軸に国際事業を拡大中。両社が組めば国内販売の消耗戦を解消できるうえ、サントリーの弱点も補える。とても論理的でした。
ところが、翌年の2010年2月に破談。サントリー創業家一族の利害が主因でした。サントリーの株式の約9割は創業家の資産管理会社である寿不動産などが所有しています。破談の理由としてキリンとサントリーの合併比率がまとまらないことが説明されましたが、鳥井・佐治の創業家一族の複雑な思いが最後まで足枷になりました。
しかし、このままでサントリーの未来はみえない。佐治社長はわかっていました。業界筋では、佐治社長の後任は従兄弟の鳥井信吾氏との見方がありましたが、人物的に優れていても経営者としては力不足でした。結局、社長にせず副会長止まり。すでに創業家から後継者を育成するために時間が必要と決断していました。新浪氏に課せられたミッションは明らかでした。
新浪氏はミッション達成
それから10年後の2024年12月、鳥井信宏副社長の社長昇格を発表しました。10年ぶりの創業家出身です。2025年3月25日の株主総会後、就任します。新浪剛史社長は会長に就任しますが、佐治信忠会長は取締役会議長を兼任したまま留任。会長は異例の2人。新浪社長の10年間は佐治会長の期待通り、米ビームを買収するなど海外事業は1・8倍に拡大。国内事業は4%成長ですが、予想通りでしょう。 100点満点ではありませんが、サントリーの未来への地盤は固まっています。
鳥井新社長を創業家出身だから就任できるとの声あるのは事実です。新浪社長は「創業家出身は社長になる早道ではあるが、経営はそんな甘いものではない。鳥井新社長はこの2年、酒類事業で着実に業績を上げてきた」と力を込め、弁護しています。実績は重ねています。鳥井副社長はビール「ザ・プレミアムモルツ」の戦略部長、酒類事業を展開する「サントリー」の社長も務めています。
ただ、一般株主からの厳しい批判を浴びた経験はありません。子会社のサントリー食品インターナショナルは東証に上場しているとはいえ、サントリー本体は株式上場していない非上場企業です。サントリー社内、関係者会社や取引先などにさまざまな意見はあっても、創業家は声を封じことができます。全体の数%しか創業家が株式を保有していないトヨタ自動車やキヤノンが社長を務めるのとは話は違います。創業家に守られてきたといわれてもしかたがありません。
新社長はどう熟成するのか
それでも社長就任まで10年間の歳月が必要でした。鳥井副社長は、製造に時間のかかるウイスキーを例に「長いスパンの商売に耐えられる、ぶれない軸を守り続けていけることが、創業家がいるメリットではないか」と説明しますが、ウイスキーはあくまでも素材。「新しい酒は新しい革袋に盛れ」という言葉が新約聖書にあります。「新しい考えや新しい物事は新しい形式で。いつまでも古い形式にこだわっていてはいけない」ということです。
実力経営者会長2人が盾になる異例の経営体制のなか、鳥居新社長の実力が試されるのこれから。過保護のままで新酒は、いや人材は育つのか。ウイスキーの味はウイスキーを守る木樽で決まると言われます。5年後、美酒に酔えることができるのか、ありは二日酔いで苦しんでいるのか。サントリーがどう熟成するのか楽しみです。