「選挙に出る」友人の決意と実行力に敬意、改めて政治との向き合いを自問自答

 40年来の友人が地方統一選挙に出馬します。政治家に必要とされる「地盤、看板、鞄」の三つのバン。いずれもありません。立候補を決意したのは一年前。突然、メールで打ち明けられました。政治に関心のある知人から長年、ある自治体の議員にならないかと口説かれ続けて、最近の日本、地方の状況を考えて決意したそうです。

1年前に決断

 「日本の状況をいろいろ合わせて考えると、やはり前面に出てがんばらなくては思いました。力不足の私ですが、やれるだけやってみよう。これまでの人生で経験したことを土台に日本の将来を真剣に考え、みなさんととともに一生懸命に頑張りたいと考えています」

表情に自信

 先日、選挙事務所の開所式で友人があいさつしました。立候補を決意してから1年間。すでに多くの集会に参加してあいさつして、経験を重ねていたのでしょう。顔の表情に無駄な緊張感がなく、普段通りの口調で話していたのが印象的でした。表情にいわゆる政治家らしい”作られた笑い”が見当たらず、ホッとすると同時に驚きもありました。

 一年前までは普通の人です。政治家になる心構えも訓練も経験していません。むしろ、自らの大病と家族の介護に追われ、歩くのも辛いと弱音をポロリと吐く時があったのです。病気も介護も終わりはありませんが、その間に何度も自問自答した覚悟に背中を押されるように、凡人の私の予想を超えて政治家への道のりを確実に一歩、一歩進んでいます。「腹が座る」という言葉の意味を教えてもらいました。  

3つのバンは無い

 仕事柄、政治家のみなさんとは取材などを通じて親しくなる機会があります。国会議員となり、大臣級に就いた後輩もいます。彼は父親の代から政治家でしたから、いわゆる「地盤、看板」は揃っていました。もう一つの鞄(カバン)、つまりお金はあまり縁がなく、何回かの前の選挙で落選。しかし、捲土重来を期して今年に予定される首長選に挑むことを知りました。

 影響力が皆無の小サイトですから改めて誤解されることはないと思いますが、選挙応援のつもりで書いているわけではありません。たまたま2人の友人が2023年、今年に予定される選挙に挑むとの話を相次いで聞き、「政治家になること」を改めて考えさせられました。

 すでに統一地方選挙が始まり、まだ選挙シーズンがが続きます。ひょっとしたら、総選挙も見えてくるからもしれません。直近の選挙結果をみていると、日本維新の会が伸び、知事選なども波乱の結果となっています。「政治家は世襲制か」という話題を背に闘う選挙区もあります。

経済、安保の難問が目の前に

 世界経済の足元が覚束なくなり、ロシアのウクライナ侵攻に続き台湾有事の危うさも日常の話題となっています。これまで経済成長を軸に据えていればよかった日本の選挙に安全保障を真正面から見つめ、新たな政策論議を始めなければいけない時期を迎えています。日本の決断を握る国、地方の政治を遠目で眺めているわけにはいきません。

「政治家は頭が良すぎちゃいけない」?

 「政治家は頭が良すぎとダメなんだ。もっと露骨に自分の選挙区に利益誘導するぐらい無茶な腕力が必要なんだ」。官邸と深い関係を持ち、日本の政策決定に影響力を持っている経済産業省の官僚が苦笑していました。大臣級まで上り詰めた後輩がまだ現役のころ、彼の将来を予測するかのように政治家の資質について教えてくれました。

 かつて「末は博士か大臣か」と言われていました。しかし、今は政治家になることを名誉と考える学生がどのくらいいるのでしょうか。むしろ、「そんなに馬鹿じゃない」とうそぶる向きが多いかもしれません。

政治屋は誰でもなれるが、政治家は誰でもなれない」

 大学生のころ、「職業としての政治家」などで知られるマックス・ウェーバーの授業を1年間、受講しました。担当教授は「君らが1年間、授業を受けてもマックス・ウェーバーはわからない」と最初の講義で切り出す変人です。受講しても良い成績を与えないので有名でした。100人以上も入る大教室でしたが、授業に顔を出す学生は数ヶ月で7人程度に激減。私はクセの強さが楽しくて、最後まで受講しましたが、成績結果は散々。

 ただ、この教授が力説していたのを覚えています。「政治屋は誰でもなれるが、誰もが政治家になれるわけじゃない」。当選するために選挙民の人気取りに走っていると、国は衰退するのだと。

 政治の現況はきれい事ではありません。新聞記者をしていると、不愉快な思いを何度もします。官邸の威光を背にハラスメントを繰り返す秘書官、大臣の意を受けて走り回る官僚、番記者の政治部記者はベタベタ。もちろん、自ら露骨に意を汲むのが当たり前と信じている政治家がいます。当選し続け、大臣の椅子を仕留めるためには選挙区の支持を固め、ライバルを蹴落とす気概が必要です。大臣級の地位にいた後輩に国会議員会館で会った時です。「この会館は、嫉妬と権力欲で満ちている海のようなものですよ」と真顔で教えてくれました。

 しかし、日本も世界も変わりました。本音は違っても、建前でESG・SDGsを唱えなければいけません。昭和の政治家は清濁合わせ飲む器量の大きさを持っていなければといわれましたが、令和は時間をかけても説明に努め、正すことは正す姿勢が問われます。

普通の人が政治家になる時代が来るのか

 立候補した友人は「だれでもなれる」とされる普通の人です。権力欲も金銭欲も、普通の人です。政治屋にはならないのかなと思っています。しかし、普通のことを演説する、その友人の考えが多くの人に受け入れられるかどうか。しかも、自治体の議会選挙です。選挙区の事情に振り回されることもあるでしょう。

 自分自身の「選挙、政治家との距離感」を改めて確認しようと思います。選挙、政治とは「当たり前」ことを当たり前にする。でも、その難しさ。「政治とはそんなもの」と無視してしまう。あいまいないい加減さに甘えてしまう。反省だけなら、サルでもできるという言葉が思い浮かんでしまいます。

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