原発の安全運転を保証する人は誰ですか、運転期間の延長論議があぶり出す虚しさ
原子力発電所の運転期間が事実上、大幅に延長します。経済産業省が原子力小委員会で議論し、原発の停止期間を運転期間として計算しない仕組みに改めるそうです。運転期間は原則40年、最長60年とする現行の「40年ルール」を堅持しますが、安全審査などで長期にわたって停止した期間を運転期間と見做さない。そうなると、東日本大震災以降運転停止している多くの原発は10年程度延びることになります。
責任を負うのは電力会社?国?国民?
ところで、その老朽化した原発を誰が安全に運転し、誰が責任を取るのですか。電力会社?国?国民?
世界のエネルギー状況を考えれば、原発再稼働の環境を整えたい政府の考えはよくわかります。地球の気候変動対策を議論するCOP27がエジプトで開幕したばかりですが、今年に入ってロシアのウクライナ侵攻で石油・ガスなどの資源価格は高騰し、需給構造は大きく変わりました。
ロシア産天然ガスに頼っていたドイツはじめ欧州の各国は、苦境に陥っています。欧米や日本などがロシアへの経済制裁に踏み切った結果、ロシアは天然ガス供給を対抗措置に採用、需給が一変しました。ドイツなど欧州各国は今冬を乗り切るため、ガス消費を大幅に抑制するよう国民に呼びかけたほか、2022年末で原発稼働停止を政策として決めていたドイツが来年春まで運転を延長せざるを得ない状況に追い込まれています。
石油・ガスの現況は気候変動対策としてCO2をほとんど排出しない原発の優位性も浮き彫りにしました。石油・ガスなど資源の大半を輸入に依存する資源小国である日本にとって、最近のエネルギー状況を考慮すれば、原発稼働の重要性はわかりますが、原発を安全に運転することとは別の問題です。議論を深め、国民が理解しなければいけないのは、原発を安全に運転する保証を誰がするのかです。
日本の原発稼働に関する安全性に関する監視は原子力規制委員会が責務を負っています。運転延長する認定は国が責任を負いますが、実質的には原発が安全に稼働できるかを決定するのは原子炉等規制法のもとで活動する原子力規制委員会です。
しかし、原子力規制委は今回の運転期間の延長問題は「あくまで経産省の政策判断」と捉えているそうです。安全運転については、期間延長を念頭に運転期間が60年間を超えた原発の安全審査につていは、運転期間を30年間を超えた原発は最大10年ごとに安全性を審査する新制度案を公表しています。
運転期間の延長ありきの議論は勘弁して
原子力発電に関わる行政がそれぞれ運転期間の延長についてツボを押さえた政策判断を下しているように見えます。しかし、落とし穴があります。それは安全運転しているはずの原発が事故を起こした場合です。もちろん、原発稼働の当事者である電力会社が責務を負うのが当然ですが、福島第一原発事故で明らかになったことを思い出してください。
国の政策・規制に落ち度が無かったにもかかわらず、なぜ事故が発生したのか。巨大地震と巨大津波と人知を超えた天災かもしれませんが、事故の原因となった緊急電源問題などは1980年代から改善の必要性は指摘されていました。「たられば」は無用と承知していますが、事前の対策で防ぐことができた可能性はあります。
今回の運転期間の延長についても、同じ危険性を覚えます。米国でも稼働60年を認めており、決して奇異な判断ではないかもしれません。しかし、1980年代から原発の運転期間は40年が限度という議論は繰り返されていたのです。それは原発の劣化そのものに未知の可能性がとても大きいからです。
それよりも運転そのものに責務を持つ電力会社の組織的な問題が改善されたのかという点が明らかになっていません。東京電力をみても、東日本大震災以降も安全を軽視したセキュリティ管理などが繰り返し発生しています。運転期間延長の手続きをしっかりと終えたからと言って、安全性に関する保証に確信する体制にはなっていません。
国は原発の安全運転を保証する覚悟をみせているか
といって、国が原発の運転安全性に深く関わっているかといえば、過去の判例をみると国の及び腰だけが目立ちます。万が一、大きな被害が起こったら、住民、国民が被るしかないのでしょうか。
原発の運転期間の延長をめぐる議論を見ていると、原発の安全運転を誰が担保するのか、国民に対する不安を誰が拭うのか、と言った覚悟が政権にも経産省にもみられません。今が非常時だからという理屈で原発の運転期間が延長されたなら、国民の寿命が縮みます。