カトマンズのお祭り

カトマンズとメディアのココロ(その1)風の人と土の人、そして伝えるひと

始まりはもう40年近い前の出来事から。恐縮です。

1982年にタイ、ネパール、インドの3カ国を新婚旅行で訪れました。一週間程度の期間で3カ国を回るのですから、まさに飛び石を翔るようです。この3カ国を選んだのはネパール・カトマンズとインド・カルカッタ(現在の都市名はコルカタ)に行きたかったからです。バンコクは航空便の都合で行き帰りでそれぞれ一泊しました。いずれの都市も初めての海外旅行だったので、驚きと感動の連続でした。今回はまずネパール・カトマンズについて書きます。バンコクにはその後仕事の出張も含めて何度も行くことになります。後日、書きます。

きっかけは東京・高円寺の「仲屋むげん堂」

「ネパールへ行こう!」こう決めたきっかけは東京・高円寺の「仲屋むげん堂」の取材でした。エスニックな衣料や修飾品を販売しており、現在は東京で何店舗も展開しているのでかなり知られていると思います。当時は高円寺だけでした。以前からインド・ネパールに興味があったのですが、たまたま見つけたむげん堂に入り、スタッフとお喋りしていたら面白い、面白い。お店で定期発行していた”新聞”も読み始めたら止まらないネタで構成されています。今でも大事に取ってあります。「レベル高い!」と驚きました。今風に言えばビジネスモデルもユニーク。買い出し旅行を称してお客さんから欲しい商品を募集して買い集めて日本へ帰国します。当時はまだ目新しいエスニックの雰囲気を持つ衣服や服飾雑貨を販売することで、固定ファンはしっかり付いています。私は今でも高円寺はじめ”むげん堂もどき”のお店を見かけたら立ち寄って覗きます。スタッフは好きなネパールやインドを旅行できるうえ、商品購入を通じて現地に職を作り出すこともできます。これまた最近の言い方に例えればフェアトレードですか。ちなみに奈良市でも偶然にインド・ネパールの品物を扱うお店を見つけたので、むげん堂と合わせ技で流通業を中心に扱う新聞一面に特集の一つとして掲載しました。

当時、「ネパールが好き」と言えば「あの人、変人」と思われたものです。ただ、むげん堂の発想はもちろん、そのビジネスモデルにも共感を持ちました。お店を創業した人物はその後、週刊文春で取り上げられていましたが、40年以上も前にフェアトレードの発想を取り込む事業を展開したのはすごいなあと敬服します。やっぱり、かなりユニークな存在だったのですね。

私はといえば、「インド・ネパールに詳しい良い旅行会社があるよ」と教えていただき、その勢いで旅行会社を早速訪ねました。その旅行会社もとてもユニークな雑誌を編集・発行しており、「みんな、好きな世界のことを書きたいんだなあ」と書き手の魂みたいなものを覚えました。自分な好きなことは他人にも教えたいんですよね。その旅行会社で「新婚旅行ならカトマンズに絶対に行った方が良い」と強烈に勧められ、頭の中ではジャン=ポール・ベルモンドが映画「カトマンズの男」のシーンが連続してフラッシュバックします。カトマンズの中心地「ダルバール広場」にあるお寺の階段に座っている自分の姿にうっとりしていました。そんな理由で最初の海外旅行は絶対にネパール・カトマンズと決めていました。

それから1年後、カトマンズの空港に到着しました。タクシーなりリキシャの誘いがワンサカと集まり、チップを期待して荷物を持つからという子供たちに囲まれながら、「ここはネパール、ここはカトマンズ」とそれこそ念仏のように唱えながらどんな難問があろうがカトマンズの街中までなんとかたどり着くことを念じていました。奈良の東大寺戒壇院の四天王像を見たことがありますか?ほんと失礼なんですが、空港でワイワイたくさんの人のお誘いを断りながら、四天王の足下にまとわりつく天邪鬼が思い浮かびました。

当時のネパールは王政時代です。街並みは映画でイメージした通り。市場は多くの人で賑わい、店頭に並ぶ生地や衣類、雑貨は原色が使われ、とても刺激的です。生活の実態をまったく知らない観光客にはまるで美術館を歩いているみたいです。まずはダルバール広場にある日本の宝塔のようなお寺を目指します。何度もイメージトレーニングしていましたので早速お寺の階段を登るのですが、同じ様にイメージトレーニングを繰り返したのか多くの観光客が座りスペースがありません。なんとか場所を見つけ、広場を見渡します。

ダルバール広場で「耳かき、どう」

「これがカトマンズか」と陶酔する間も無く、若いニイちゃんが寄ってきてカタコトの日本語で「マリファナいる?それとも耳かきする?」と聞いてきました。前日、バンコクからカトマンズに向かう機内でネパールに6ヶ月ほど滞在したという若い日本人と知り合ったのですが、「長期滞在したのはマリファナにハマっちゃった」と話していました。というわけでダルバール広場で声をかけられた第一声がマリファナだったのも肯けます。「マリファナは要らないよ」と若いニイちゃんに返したら、「耳かきはみんな気持ち良いというよ」とたくさんの名前とおぼしき文字が書かれたリストを見せます。「この液を耳穴に入れるとゴソッと取れる」とカタコトの日本語で説得にかかります。耳かきは嫌いじゃないので心が動いたのですが、耳穴をほじくる細長い棒があまりにもきれいじゃないので、さすがに断ります。

和食のレストランでカツ丼

その後、街をブラブラします。「日本食」と書かれた店に興味本位に入ったら、カウンターにはお寿司屋さんにあるガラスの冷蔵ケースがありました。「カトマンズにもあるんだなあ〜」と驚いたら、ケースの中にはハエがいっぱい。きっときれいなハエなんでしょうが、私の妻は声を失っていました。でも、せっかくの機会なのでカツ丼を食べて出ました。油で揚げたら細菌は死にます。有名な寺院を訪ねる途中、郊外を歩くと北海道の田舎と同じ風景が続きます。なんか見た感じです。いわゆる既視感が続きます。子供たちが遊んでいる風景をみて、同じ経験した思いがよぎり「前世はネパールだったのか」と勘違いするほどです。カトマンズは自分の身の丈に合った街でした。その後も何度も訪れました。そのたびに街の変貌、王政から共和制への移行などの変化を感じながらも、ネパールは身近な国でした。

ただ、好きなだけではいけないことを改めて痛感しました。愛着のあるネパールで民法の整備が進んでいるとの記事を読んだのがきっかけです。。三田評論の3月号「アジアにおける民法典制定への国際協力」で入江克典さん、長尾貴子さん、松尾弘さんの3人による鼎談が掲載され、民法制定へ支援と貢献の考え方を現場の空気を感じながら読ませてもらいました。ネパールは王政が終わり、毛沢東主義派など急進的な政党の台頭などで国が大きく変革しているのですが、その中で長尾さんがネパールの法整備を通じての体験を語っています。ぜひ三田評論3月号を一読ください。メディアの人間として肝に銘じなければと感じたのは当時のJICAネパール事務所長がニュースレターに書かれたエピソードでした。

「風の人と土の人」と言葉があり、土の人は現地の人、風の人は援助機関の人を指します。風はサッと吹いただけで何か影響を与えるわけではないが、吹き続けるとなんらの変化を起こすことができる。こんな趣旨です。長尾さんは「法整備はそのように、吹き続けて、吹き続けて、変化が見えることに思いを馳せながら活動することかなと思います」と語っています。

メディアも風の人に

「吹き続ける」という言葉に胸が打たれました。様々な情報や意見を伝える役割を持つメディアは法整備と同じように目の前や将来の事象に対し、なにかしらかの土台を提供できる力があると考えます。いわゆる特ダネで大きな風を吹かせたと胸を張りがちなマスコミ・記者ですが、負けずに大事なのは多くの人の話題になるニュースに目を奪われることなく一見大きな変化をもたらすとは思えない事実、情報を気長に発信し続けることが「メディアのココロ」ということを再確認させられました。ネットなどを介して地道に気長に発信するメディアは新聞やテレビに比べてそよ風にも値しないかもしれません。でも、懲りずに唇を細めてフーフーと吹きながら続ける姿勢を守る大事さを教えてもらいました。もちろん、これからも続けます。

 

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