かすむベンツの威光

ほぼ実録・産業史 1)ベンツ、ホンダを買収したい 未来はwill be in the melting pot へ

 「ベンツがホンダを3兆円で買収できないか?って聞いてきたんだ。どう思う?」
欧米系コンサルタント会社の社長は私に聞いてきました。彼はトヨタ自動車時代から付き合っており、トヨタの英国進出など欧州戦略のキーマンとして重要な取材相手でした。その剛腕ぶりは有名で、後にトヨタ社長に就任した奥田碩らと並ぶ三羽ガラスと言われた人物でした。トヨタの欧州進出の道筋を付けた後、トヨタを離れて欧米系自動車に移りました。トヨタ時代に築いた人脈ネットワークを活用して世界の自動車メーカーの合従連衡の真っ只中に身を置いていました。

「ホンダを3兆円で買収できる?」

 即答です。「ホンダが3兆円って買収額はいくらなんでも安いでしょう。ホンダはまだ独立路線を捨てる考えはないですから、ベンツの提案はすぐに蹴飛ばしてしまいますよ」。世界の自動車地図が思い浮かんでいました。「米国のビッグスリーはもうヘロヘロになっている。高級車市場で稼いできたドイツ車も環境技術で壁にぶち当たっている。ベンツだけじゃない。フォルクスワーゲン、BMW、ルノーなど欧州メーカーはみんな困っているんもんなあ〜」。

 時は1990年代後半、20世紀が終わろうとしていました。ベンツがガソリンエンジンの自動車を発明して1888年に自動車販売を開始してから100年が過ぎていました。1970年代の石油ショック以降、燃費や排ガス規制を巡る技術の開発競争が激しさを増す中、「安いけど、品質とデザインはねえ」といわれていた日本車の燃費・走行性能の評価は米国でも高まっていました。欧米の自動車各社が築いた産業ヒエラルキーが日本車によって崩れ始めたのです。

 世紀末だからというべきなのか新世紀に向かってと見るべきなのか。21世紀を前にアクセルとブレーキを交互に踏みながら、世界の自動車は自らの未来にたどり着くため、目の前に広がる濃霧に向かって走り込むしかなかったのです。

 ベンツのホンダ買収提案は今から振り返ると、世界の自動車メーカーが主従入り乱れる提携・合併劇の幕開けに過ぎません。提携寸前で破綻した日産自動車とベンツ、誰も相手にされず結局は目の前の相手と手を組まざるえなかった日産とルノー・・・。2021年の今も続く自動車の提携劇の舞台裏をお伝えします。

★  ★ ★ 序幕のあいさつ

「私の産業史」の雛形として「will be in melting pot」の自動車編を掲載することにしました。本来なら自動車編を完結する形で掲載すべきかもしれません。しかし、かなりの時間が必要ですし、日本経済や世界経済が現在進行形で大きな転換点に差し掛かっている今こそ、同時並行して産業史を刻むことがより大事かと考えました。

 また、多くの「私の産業史」がこれから参加して日本経済、そして世界経済の過去、現在、未来を俯瞰できる物語が増えればと期待してもいます。現時点では中途半端な原稿でも、いろんな視点から気軽に書き続けることで過去に執筆された経済学を上回る「生きた歴史」が貴重な未来への伝言になるはずです。

 ですから原稿の①、②という番号は通常であれば段落の目印と捉えてください。また原稿は後で何度も書き直すかもしれません。同じ①でも内容は多少、あるいは大きく変わっている可能性もあります。私の好きな焼き鳥に例えれば、焼き鳥をおいしく仕上げるタレを繰り返し加えてネタとしては今一つかもしれない「産業史」のうまさを引き出す作業を続けるつもりです。

 「will be in melting pot」のタイトルを選んだのも同様の理由です。高校時代にブッカー・T&The M,G.’sの「Melting Pot」にハマりました。派手な抑揚はありませんが魂の自由を感じさせるキーボード演奏を縦糸にいろいろな物語が横糸として折り込まれれば面白いと思ったのです。もちろん産業そのものが技術革新の大波に襲われ、過去の成功や失敗が全てが溶け合って全く新しい姿として目の前に現れるであろう近未来を感じて欲しいという思いも込めたタイトルでもあります。

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