かすむベンツの威光

ほぼ実録・産業史 1)ベンツ、ホンダを買収したい 未来はwill be in the melting pot へ

👉 本稿へ戻ります。表題の通り「ほぼ実録の私の産業史」です。冒頭は私の取材に基づいたエピソードです。実録です。その後も一人の人間が目撃し、取材した出来事が続きます。しかし、これからは”ほぼ実録産業史”を書き進めるうえで匿名、仮名を交えてストーリーの流れを創ります。目撃したことをわかりやく理解してもらうためには状況をていねいに説明しなければいけません。真実から遠ざる印象は避けたいのですが、残念ながらすべてを正確に描けるかどうかわかりません。推測を加えて状況を説明した方が理解が進むこともあります。今回は「自動車」という大河の岸に立って、私たちが目撃しているものが上流からどのようにここまでたどり着き、下流に向かってどう流浪していくのかを見極めることを優先したいと考えます。

★ ☆ ★ ☆ ★ ようやく開幕です。

「オンダ技研、3兆円で買収できるかな。ドイツ自動車が買収か資本提携できるなら払うって言っているんだよ」
1996年5月、ドイツ自動車の日本法人代表の吉田秀夫が突然、会いたいと連絡してきた。あいさつもそこそこにドイツ自動車の提案に対する感触を聞いてきた。私は頭の体操かなと勘違いし、「オンダかあ〜、3兆円ではまだ低いんじゃないの。織田自動車、日進自動車に続く日本国内第3位のメーカーだけど、創業者の恩田総一郎以来、オンダはオンダだ、どことも組まない独立の道を歩むのをアイデンティティにしている会社だよ。熱狂的なオンダファンは織田や日進には無い個性的なブランドの強さを示しているし、一般消費者の人気は高いからねえ」と軽く返した。感触を聞いた吉田は予想通りの返事を聞いて思わず苦笑いしたが、目は笑っていなかった。

 ドイツ自動車からのオンダ買収提案は、日本の自動車産業、いや世界の自動車産業が生き残りをかけた泥仕合の始まりを予感させる一言だった。いや予感ははずれた。今振り返れば、自動車産業というカテゴリー、産業そのもののカテゴリーが崩壊するカタストロフィーの号砲だった。
 ドイツ日本法人代表の吉田秀夫とは、もう10年以上のつきあいになる。元は織田自動車の海外部門を長く歩み、その後社長を務めた近田弘、横田治に続く三羽がらすといわれた凄腕の織田マン。米国に続き、世界戦略の喫緊の課題だった欧州進出を握る戦略家でもあった。ただ、本人の上昇志向は人並み以上に強く、織田自動車創業者の一族だからとの理由だけで、将来の社長は織田昭夫となるような日本的な経営には到底納得できず、自動車を発明し世界的なブランド力を誇るドイツ自動車に活躍の場を移したばかりだった。

 欧州戦略を進めるために必要な現地の的確な情報収集力はさすがだった。すでにフランスに進出して成功を収めるソニーの現状をきめ細かく分析するととともに、日本企業が英国と欧州大陸に進出する際にどのような反応が起こるのかを欧州各国の国民、政治家のレベルで評価して欧州の進出作業を進めていた。組織人としては当然だが、織田自動車トップの気質も十分に念頭に入れている。世界情勢に対する理解力、欧州進出を決められるだけの決断力、そして最も重要なことは事務方が綿密に築いた欧州進出のシナリオ通りに行動、発言できるか。

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