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日立造船がカナデビアへ 社名変更が語る栄光を捨てる勇気とは 造船から杜仲茶、環境

 新聞記者時代、後輩の若手記者が日立造船へ取材を申し込んだら、編集デスクの下へ電話がかかってきました。日立造船の広報担当者からでした。「こんな若手記者をうちの取材に回すのか」と反発していたようです。日立造船は名門企業です。創業は1881年。明治から「造船ニッポン」の一翼を担ってきたという気概が伝わってきました。

若手記者の取材申込に反発

 昭和が終わりを迎える寸前の頃です。造船不況の真っ只中。1985年9月のプラザ合意による超円高の直撃を受けた日本の造船会社は、韓国など海外勢に世界一の座を奪われ、窮地から抜け出せません。当時の同僚、造船担当記者は数ヶ月で毛髪が抜けてしまいました。「自分が書く記事は何千人規模の人員削減ばかり」と嘆きます。かなりのストレスを抱えていました。しかし、日立造船の役員のかつての栄光を捨て去ることができなかったのでしょう。

 個人的な印象では日立造船といえば、杜仲茶。1989年、経営多角化の一助と考え、健康に良いとされた杜仲茶の生産を始めました。1996年に特定保健(トクホ)食品の認定を取得。コンビニでボトル入り飲料として商品棚に並んでいた時は、「日立造船がコンビニに」と驚きました。年間60億円を超える売り上げを記録するヒット商品に育ちました。

造船部門は分離、主力は環境機器へ

 しかし、日立造船を取り巻く厳しい経営状況は変わりません。2002年造船事業を切り離して旧NKKの事業部門と統合し、別会社へ移設します。祖業を切り捨て、環境産業などに活路を求める決意を表明しました。地球環境保護を目的した「エコ」が成長産業を意味するようになり、造船の名門からごみ焼却施設の国内最大手へ順調に転身していきます。「社名に造船がついているが、ウチは環境機器メーカー」との声をよく耳にしましたが、それでも日立造船の社名は変更しませんでした。

 「何があろうが、日立造船は日立造船のままでいくのだろう」と思い込んでいたら、2024年10月に「カナデビア」に社名を変更するニュースが伝わってきました。三野禎男社長が新聞などのインタビューに答えた記事を見ると、分離した造船会社への出資比率が2021年にゼロとなり、完全に「造船」が手離れしたのがきっかけだそうです。

新社名はゼロから討議

 新社名を決める前提として「技術の力で人類と自然の調和に挑む」という新しい企業アイデンティティを固め、オーケストラがハーモニーを奏(カナ)でるように、ラテン語で道を意味するVia(ビア)を切り拓く思いを込めたそうです。

 実は日立造船はすでに社名に相当する愛称「Hitz(ヒッツ)」を使い続けています。造船事業を手放して以降、ヒットする事業や製品を生み出したいという願いから考案したのです。長年の取引先に馴染みがある「Hitz」が最適と思いましたが、造船以外の歴史もすべてゼロから考えることにしたようです。

 造船会社に限らず、かつて重厚長大産業と呼ばれた素材や機械メーカーの社名変更が続いています。旭硝子がAGCに変更して「AGC、AGC」と盛んに連呼するテレビCMに今でも違和感を覚えますが、将来に向けて主力事業の枠組みを大きく変えたい強い思いが伝わってきます。古臭い企業イメージを捨て去り、将来に向けて無限の可能性を示し、若者の人材採用を進めたい狙いもあるのでしょう。

栄光の昭和も消えていく

 社名変更の狙いは理解しているつもりですが、やはり社名にはその企業の栄枯盛衰の歴史が刻まれています。もちろん、過去の歴史を消し去りたい会社もあるでしょう。直近ならジャニーズ事務所でしょうか。適切な例じゃなくてすいません。昭和電工が「レゾナック」に変えたのは驚きました。そして日立造船です。昭和の郷愁に耽るほど繊細な思いはありませんが、世界の製造業のトップランナーだった昭和の日本企業が文字通り、消えていくのは間違いないようです。 

写真は日立造船のホームページから引用しました。 

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