リニア新幹線①昭和から直線思考の交通体系 ESG、SDGsに立ち返りリセットを
JR東海が進めているリニア中央新幹線構想。建設工事が進み、もう止められないのは十分に承知しています。ただ、1980年代後半にリニアモーターカーを取材して以来、構想の具体化を眺めている身からすると、一度立ち止まって構想をリセットすることを勧めたい。高速交通機関の役割は日本経済の近未来を考えるうえで引き続き重要であるのは間違いありません。しかし、近未来に到達するまでに待ち構える課題は、かつて当たり前、疑問の余地なしと考えていた社会常識、経済常識を覆しています。コロナ禍で思い知ったライフスタイルの変化は一例に過ぎません。リニア構想も例外ではありません。
巨大プロジェクトが中止になることはないでしょうが・・・
JR東海がリニア中央新幹線を本格的に着工したのは2014年12月。すでに7年間以上も過ぎています。JR東海の事実上の創業者である葛西敬之さんがリニア中央新幹線構想を推し進め、民間事業でありながら時の政府も巻き込み、資金、政治力を合わて国家プロジェクトのようなイメージにまで巨大化しています。品川駅など各地の工事の進捗状況がその都度公開する一方、静岡県の川勝平太知事がアルプスを貫通する地下トンネル工事に伴う大井川の水源問題などで工事許可を認めない、あるいは品川駅建設の不正入札事件など話題に事欠くことがないほど。
1980年代末、夢のプロジェクトといわれたリニアモーターカーが事業化に向けて始動した頃です。JRや運輸省のみならず自民党の運輸族も含めて取材し、関連企画を連載しました。連載企画のタイトルは確か「リニア、翔ぶ」でした。記者時代、新聞の一面はじめ多くの紙面で連載企画に携わってきましたが、正直いって心が傷む連載だった記憶があります。「翔ぶ」は現実からかなり飛び離れていたからです。
リニアモーターカーは様々な方式が併存していましたが、磁力を利用して時速300ー500キロの速度で疾走する高速列車が可能と言われていました。時速200キロ台の東海道新幹線の最高速度を軽く上回り、実現すれば東京ー大阪間の航空ネットワークは不要になるのではと心配されたほどです。
しかし、500キロの超高速は、磁力で列車を浮上させる技術だけで実現するわけではありません。これまで経験がないほど深くて長い地下トンネルの掘削、列車同士がすれ違う時の衝撃波、超電導で生まれる強力な磁力から人間を守れるのか。数多くの難問をクリアしなければいけません。果たして、可能なのか。夢の構想はやはり夢で終わるのではないか。多くの疑問をどうしても消し去ることができませんでした。
ドイツも難渋したリニアモーター
実際、実用化の道筋が見えていたのは、日本とドイツぐらい。ドイツのリニアモーターはトランスラピッドと呼ばれ、実用化寸前とみられていましたが、結局初めて営業運転したのはドイツではなく上海。2002年、ドイツ企業が上海空港と都市を結ぶ路線を建設。走行距離は30キロほど。かねて走行安定性に難ありと長くいわれていました。4、5年前に上海空港に出張した際、搭乗しました。最高速度に達すると縦と横の揺れが激しく、一緒にいた同僚があわてるほどです。1980年代、日本の新幹線を上回る最高速度を達成したと喧伝したフランスのTGVに搭乗した経験と同じです。当時のTGVは最高速度に達した瞬間、空を飛ぶのじゃないか思うほど跳ねました。
上海のトランスラピッドは30年以上も前から指摘されていた問題が解消されていませんでした。日本の新幹線を知る人間からみればとても実用化に成功したとは思えません。ただ、この事実を裏返せば、それほどリニアモーターの進化は高度な技術開発と経験が必要だという証明でもあります。
日本のリニアモーターは1977年、宮崎県に実験線を設け、2年後の79年に最高速度500キロを達成できる技術を確認しています。より実用化に向けて開発するため、新たな実験線を山梨県、北海道に設けようというプロジェクトが浮上します。ちょうど運輸省を中心に取材していたこともあって、当時の運輸族のドンである金丸信さんと三塚博さんにも取材に行く機会がありました。
金丸さんの一言で決まった山梨県の実験線
金丸さんは山梨県、三塚さんは北海道をそれぞれ有力候補に挙げていました。金丸さんは典型的な日本の政治家で曖昧な物言いしかしないといわれていまいた。しかし、実際にお会いしたら意外や意外。リニアに関する技術用語をふんだんに使っていかに山梨県がふさわしいかを説明します。聞いた通りにインタビューを記事にしたのですが、政治部の先輩記者からは「おまえが全部書き直したのだろう」と嫌みを言われ、運輸省の局長からは「本当にあの通りに話したの?本当なら、ホントウに困った」と嘆く有様。三塚さんは「金丸さんがそう言ったなら、そうなるだろうなあ」と吹っ切れた様子で話したのを覚えています。
1997年、JRは山梨県に建設された実験線でリニアモーターの実用化に欠かせない技術力、快適さなどを徹底的に追求し続けます。それ以前にも超電導状態から生まれる強力な磁力は人間に害を与えないという証拠として、JR東海会長を務めた三宅重光さんが宮崎県の実験線で実験車に搭乗したことがあります。三宅会長はペースメーカーを埋め込んでいました。「そこまでやることはない」と周囲から止められたにもかかわらず、三宅会長は車内に乗り込み、座席につきました。JR東海がリニア中央新幹線にかける執念の凄さに多くの人が驚きました。
その山梨県の実験線がリニア中央新幹線への道筋となります。2010年代に入って磁力による求心力が強さを増し、ついに夢が現実になると考えた人は多かったはずです。しかし、東京ー名古屋、東京ー大阪を結ぶ新幹線を待ち構えるハードは高く、分厚い壁が控えており、実験線のレベルと比較になりません。個人的には30年も前に取材した疑問はまだ解けていません。
あるゼネコンのトップが断言、「完成するだろうか」
JR東海が工事スケジュール、入札など具体的な計画を公開し始めた頃でした。久しぶりの大型プロジェクトの始動で建設・土木業界は沸いているんだろうと思い、あるゼネコンのトップと会いました。現実は違っていたようです。
「中央リニアは完成するだろうか、もし完成したとしても相当苦労するのは間違いない。アルプスを貫くトンネルは難工事なんてもんじゃない」。ある大手ゼネコンのトップが断言したのです。地下深く、しかも長距離のトンネル工事、自然破壊の可能性。あまりの難工事で事業採算の見通しが立たない。今で言うESG、SDGsの観点で見たら、経営者として手を上げられないというのでした。