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リニア新幹線③ 国鉄民営化が創造した夢想 巨大プロジェクトの白昼夢から抜け出せず

 「JR東海はもたない。東日本か西日本が合併するしかない」

 1987年4月、国鉄が分割民営化されてJRが誕生してから数年後、JR西日本の井手正敬社長がこう語ったことがあります。ウナギの蒲焼をサカナにした宴席とはいえ、真顔だったのをよく覚えています。国鉄は分割民営化で本州を東日本、西日本、東海に3分割する一方、北海道、四国、九州は三島会社として移行。貨物部門はJR貨物として地域に関係なく分離されました。

 JR東海はもともとJR西日本の事業領域として含まれる予定でしたが、東海道新幹線は国鉄の路線のなかで最も稼ぐドル箱です。国鉄分割民営化後のJRグループを兄弟に例えることが適切かどうかわかりませんが、東日本が長男、西日本が次男という順番。JR東日本の初代社長に運輸省事務次官経験者で、国鉄改革に深く関わった住田正二さんが就任したことでもわかるはずです。

東海道新幹線をどうするか、JR東海が誕生

 もし東海道新幹線がJR西日本に含まれれば、経営規模はJR東日本を上回ります。旧国鉄時代の労使紛争、政治家を巻き込んだ利権などが複雑に絡む舞台裏を考慮すれば、あまりにも単純な図式と受け止められるかもしれませんが、分割の図式が固まったイメージはこんな感じだったようです。

 確かにJR東海は旧国鉄のゴールデンカード、東海道新幹線という他のJRが羨む稼ぎ頭を保有しています。赤字の呪縛から逃れられないとみられていた北海道、四国、九州の三島会社からみれば天と地の差でした。しかし、JR東海の未来は明るいのかといえば、そうではありませんでした。

 JR東海の事業領域は新幹線を利用する乗客をいかに増やすか、尽きます。東京と名古屋をエンジンのピストンのように行き来する列車の頻度をいかに高めるか。この一点に成功しなければJR東海の成長は限界に達します。しかも、東海道新幹線は老朽化が進行しており、設備の更新などで巨額の経営負担が待っていました。新しい経営の路線図を描き、増収増益を実現できなければ、目の先の経営は立ち往生するだろうと見る向きがあったのは事実でした。

 その後のJR東海の経営戦略について触れると本稿の本線から支線に迷い込みそうなのであえて省き、なぜリニア中央新幹線に挑まなければいけなかったのかに焦点を合わせます。確かにJR東海は経営の飽和点ともいえる経営上の限界がありました。だからこそ、旧国鉄とは思えない巧みなマーケティング戦略が展開されたのです。山下達郎の「クリスマスイブ」の大ヒットで知られるテレビCMはその一例に過ぎません。

葛西さんがJR西日本に飲み込まれる選択はない

 JT東海の初代社長は須田寛さんは「フルムーン」「青春18キップ」など国鉄時代のヒット商品を生み出した人です。何度もお会いしたことがありますが、人当たりが良く自由な発想をお持ちの方でした。しかし、JR東海を牛耳っていたのは国鉄改革3人組と称されたうちの一人、葛西敬之さんでした。JR東海の事実上の創業者だと考えています。国鉄で培った交渉力とバイタリティ、政治家を取り込む魅力などは抜群です。決めたことはかならず実行するという猪突猛進ぶりにちょっと表現できない言葉で蔑む人も多かったのです。毀誉褒貶の激しい人だったようですから、いろいろな声はあるのは当然です。ただ、今回は本稿の支線です。

 その葛西さんがJR西日本に飲み込まれる未来に甘んじるわけがありません。しかも、企業は一度生まれたら、なんとか生き抜こうとする本能があります。新幹線網は本州のみならず九州、北海道にも広がっていきます。JR東海の存在意義、アイデンティティを極めるためにはリニアモーター構想を現実にする選択しか残っていなかったのでしょう。リニアモーターが山梨県内に実験線を建設することが決まり、近い将来実現するかもしれないと思われた頃でした。「羽田ー大阪を結ぶ航空機に時間的に勝てる」という声が上がりました。列車が飛行機に勝つ。これをどう受け取るかは別に、JR東海は本気で考えていました。

 当時は昭和の高度経済成長時代を終え、バブル経済の余韻がまだ醒めない時でした。東京を機軸に名古屋、大阪を結ぶ高速交通網が拡充するのは日本経済の成長力をさらに高めるという期待を集めました。まるで田中角栄さんが発表した「日本列島改造論」をなぞっているようです。新幹線を全国に広げ、人との交流を深め、地方の活性化にもつなげる。バラ色の未来図でした。

 東海道新幹線は今でも300キロを超える高速移動を実現しながら、世界が驚く安全性を堅持しています。ただ、列車運行ダイヤはもう限界といわれるまで高密度してしまいます。この閉塞感を破るのがリニアモーターでした。「東京ー名古屋を30分間で行き来したから、何が変わるのか」といった疑問は目の前をスッと通り過ぎ、消えてゆきます。

JRはなぜ誕生したのでしょうか

 JR東海は東海道新幹線とともに誕生しました。新幹線が当たり前のように全国を走る今、その存在意義を貫くためにはリニアモーターカーという選択しかなかったのです。しかし、それは国鉄改革で思い描いたJR、あるいは公共交通機関の近代化という夢想は、JR東海の新幹線、次いでリニアモーターという高速の夢の追求でどこかへ置き去りになってしまったかのようです。リニア中央新幹線を見る私たちは、白夢を見ているのかもしれません。

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