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ネオジムもノーベル賞?青色ダイオード、リチウムイオン電池に続く日本の独創的な発明

 「ネオジム磁石」1980年代半ば、画期的な新素材・技術開発を取材していると、必ずといって良いほどネオジムの名前が出てきました。ネオジムという金属元素に鉄、ホウ素などを化合した世界最強の磁石で、強烈な磁性体を帯びたネオジムを応用した電子部品は抜群のエネルギー効率を発揮します。まるで「魔法の石」。今ではCO2排出を抑制するハイブリッド車、EV(電気自動車)、風力発電などの発電機やモーターに不可欠な素材として需要がどんどん増えており、地球温暖化を防止する素材として注目度はさらに高まっています。

1980年代はネオジム がブーム

 発明者は佐川眞人さん。1982年、当時の住友特殊金属に在職中に発明し、翌年の83年から生産が始まりました。多くのスタッフとのチームプレーが背景にありますが、その実用化の速さに驚きます。このスピード感から当時の日本企業の活力がわかると思います。

 産業界の反応も素早い。1980年代半ばにはその強力な磁力を使えば、これまで難題とされていた機能を開発できるとの期待が一気に広がり、多くの電子機器・機械メーカーが応用研究を開始しました。画期的な製品や部品が開発されると、その発表資料にネオジムの文字が並ぶことが増え続けました。

 佐川さんは神戸大工学部を卒業後、世界的な金属研究で知られる東北大の大学院で工学博士を取得。富士通を経て住友特殊金属に移り、ネオジム磁石を発明。その後、自身の会社を設立して現在は大同特殊鋼の顧問も務めています。

あえて難関なテーマに挑む

 ネオジム発明に至る発想が素晴らしい。強力な磁石はコバルトを使わなければ生産できないとされていましたが、コバルトは希少資源の一つ。富士通に在職中、佐川さんは、コバルトよりは手に入りやすいレアアースを使えば割安に生産できるのではないかと考え、研究を続けます。あえて難しいテーマを選ぶ姿勢、研究者魂を感じます。成果は富士通から住友特殊金属へ移って実りましたが、会社が変わっても諦めずに自らのアイデアを貫き通す信念の強さに敬服します。

 その優秀な研究成果は数々の国際的な賞を受賞しています。、日本からは「青色ダイオード」「リチウムイオン電池」の研究でそれぞれがノーベル賞を受賞しています。ネオジムも続いて欲しいと願っています。

 当時のネオジム人気をエピソードを一つ。1980年代は新技術が誕生した直後だったので、その真偽を疑うちょっとした混乱もありました。「ネオジウム」と呼び、「あのネオジムより自社の方が優れている」と説明する技術者も現れます。新聞記事で掲載する際、どっちの呼称を選ぶのか、あるいは強力な磁性体として本物なのか、偽物なのか。取材した記者同士で技術の裏付けを擦り合わせ、確認する作業も重ねました。個人的には「ネオジム」を目にすると、優れた磁性体としての効能よりも、呼称の混乱が今でも苦笑してしまう思い出です。

青色ダイオードでは対価を巡って訴訟に

 あえて不可能と思われる難関を解決する。その姿勢は「青色ダイオード」でも発揮されます。赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏が2014年のノーベル物理学賞を受賞していますが、このうち中村さんは徳島県の日亜化学の研究者として実用化に取り組みました。発光ダイオードは赤色や黄緑色は製品化されていましたが、自在に発色させるために必要な青色が困難を極めていました。

 中村さんは徳島県の中堅企業から世界的な発明を成し遂げましたが、その後は青色ダイオードの発明を巡る対価について日亜化学に訴訟を起こし、話題を巻きました。企業研究者が発明した優れた成果を企業が特許権を取得し、保持するのが常識だった時代に自身の成果を正当に評価して欲しいと主張することは会社に反旗を翻すと批判されることもありました。それでも、自身の考えを貫く。エジソンら世界の発明史に残る偉人はいずれも大変な個性の持ち主です。日本にもっと増えて欲しい。

 もう一つのノーベル賞の「リチウムイオン電池」も見落とせません。2019年、ノーベル化学賞のテーマとなったリチウムイオン電池で旭化成の吉野彰名誉フェローと米国の研究者2人が受賞しました。実はソニーは旭化成より早くリチウムイオン電池を製品化していました。1991年、世界で初めてリチウムイオン電池を発表。翌年の92年に本格的に量産し始めました。旭化成が製品の生産を始めたのは93年ですから、ソニーより2年遅れています。

リチウムイオン電池はソニーが先行

 実は、私と一緒のチームだった記者が取材し、新聞1面でソニーがリチウムイオン電池の開発に成功したニュースを特報で伝えました。当時の事情は知っているつもりです。それから28年後の2019年のノーベル賞発表後、ソニーの開発責任者であり、元ソニー上席常務の西美緒さんは記者会見を開き、「もう少しきちんと詳しく歴史的な部分を調べてもらえたら、もっとよかった。同じようなことをやっていて、旭化成が一番乗りという認識がどこからきたのか、というのがピンとこない」と述べています。

 1980〜90年代、世界の最先端技術を進化させた発明を振り返ると、日本の産業力の強さは独創的なアイデアを生み出す強烈な個性にあったことに気づきます。ふと懐かしい思いが湧きますが、最近は日本企業から世界を驚かす発明・ヒット製品が見当たりません。日本の産業力衰退が心配になります。

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