「女体盛り」山中温泉・山乃湯の若社長が演じた恩讐の彼方(下)
山乃湯の社長が語る経営は、とても真っ当な組み立てで出来上がっています。地元の山中温泉でかつての家業を復興させ、周囲を驚かせたい。山中温泉はすでに老舗旅館が高級感あふれる温泉地のブランドを築き上げ、少人数だが単価の高い顧客を集めている。後発の新しい旅館が大手や老舗と差別化するためには多人数のグループ客を集めて他が真似できないサービスを提供するしかない。この1点に自らの旅館経営を嵌め込んだと理解しています。
裸になって遊び、味わう解放感とは
他を圧倒する旅館のキャラクターとは何か。温泉地は裸になって素晴らしい泉質を楽しみ、普段の生活では味わえない豪華な料理と解放感を提供するリゾートです。
ノーベル賞を受賞した川端康成の小説「雪国」を思い出してください。主人公は、親から譲り受けた財産で生活する妻子持ちの作家。雪国の温泉旅館で芸者の駒子と会い、朝まで過ごします。小説の書き出し「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」はとても有名ですが、このトンネルは日常生活を捨て置き、いつもとは異なる時空に飛び込むアイコンです。
小説の舞台となった新潟県の越後湯沢にある旅館に宿泊したことがあります。偶然、駒子のモデルとなった女性をご存知の方と親しくなりましたが、旅館、温泉地でもとても積極的で目立っていた女性だったそうです。温泉旅館を訪れる男性客にとって魅力的だったのでしょう。
雪国「駒子」は越後湯沢のキャラに
山乃湯にとって「女体盛り」は雪国の主人公「駒子」と重なるアイコンだったのでしょう。しかし、他の旅館やホテルが真似できない「危ういサービス」でした。山中温泉は紅葉や新緑など美しい自然を際立たせる「こおろぎ橋」でも有名ですが、温泉を訪れる男性客に対し「危ない橋」を渡るスリルを用意したのです。
「もっとスリルを楽しみたいお客さんにどう答えるのですか」。社長に尋ねました。そばにいたスタッフがすかさず「提携旅館を利用するようお話ししています」と答えました。「提携旅館?、そこでどうやって遊ぶのですか?」という疑問が湧き、確認をしたですが、「提携旅館を訪ねて質問してください」の繰り返しです。お客さんが提携旅館でどう楽しむか。それは無関係という姿勢を示したかったようです。
将来はリゾートホテルが目標
最後に社長に質問しました。「山乃湯は将来、どんな旅館になるのでしょうか」。彼は「リゾートホテルの新しい形態を創りたい」と答えたと思います。リゾートという言葉は幅広く使われており、ディズニーランドのようなリゾートを目指すとは思えません。山中温泉がこれまで築き上げたブランドイメージとどうマッチするのかわからず、少し戸惑いました。
社長は経営の先行きについて悟っていたはずです。「女体盛り」のイメージだけでは限界がある。将来、山乃湯がどうリゾートホテルに変身するのか。変身というよりも脱皮できるかが正確かもしれません。残念ながら、具体的なイメージを描けないまま、取材を終えました。
山乃湯の社長に取材のお礼を述べた後、山中温泉を流れる川を眺めていたら「恩讐の彼方」がふと浮かびました。菊池寛の有名な小説です。父親を殺された息子は長年、敵討ちを捜し続け、ようやく見つけた相手は僧侶となって絶壁の難所を掘り続け、トンネルの開通に努力しています。周囲の説得もあって開通まで敵討ちを待ち、開通が成就した後、敵討ちを果たそうとしますが、息子は相手の僧侶の高い志に感動し、討ち取ることを断念します。敵討ちが掘ったトンネルが地域の繁栄に大きく貢献したのは当然です。
老舗旅館は自らの強さをより磨き上げる
恩讐には情けと恨みという正反対の意味が組み合わさっています。山乃湯の社長は、恨みを忘れられずに山中温泉のイメージをぶち壊す道を選んだと感じました。取材でお聞きした話には通奏低音として地元を見返したいという強い気持ちが常にありました。旅館を経営した父親が辛酸を舐めた過去を片時も忘れるわけにはいかない。とりわけ地元のある有力者が経営する高級旅館が常に念頭にありました。その有力者は石川県議会の実力者でもありました。
山乃湯の社長が見返したいと考えた老舗旅館の人物にも会いました。彼は山乃湯の存在を苦々しく思い、「山中温泉の評価を下げるわけにいかない、もっと高める努力をする」と話していました。すでに一日数組しか予約を受けない旅館として全国でもトップクラスの評価を集めていましたが、山中全体を底上げできるよう町が団結するのだと言うのです。
温泉地で切磋琢磨する力を呼ぶ
山乃湯の社長の思惑通り、老舗旅館の社長にとって山乃湯は目の上のタンコブ。しかし、それは山中温泉に自らのアイデンティを問い直し、他の温泉地との差別化に切磋琢磨する旅館経営を広めたのも事実です。
意図したどうかはわかりませんが、知らず知らずのうちに「恩讐の彼方」をなぞるドラマが始まっていたのかもしれません。演出はもちろん、山乃湯の社長。本人は気付いていなかったかもしれませんが・・・。でも、それは山中温泉を全国有数のブランドに押し上げる地域のエネルギーを生み出し続けたのでした。