名車「プリメーラ」を開発した日産の技術魂はどこへ「売る車がない」の嘆きが広がる令和の悲劇
「次はプリメーラを絶対に買おう」。自動車産業を新聞記者として取材する中で唯一、惚れ込んだ車がありました。日産自動車が1990年1月に発売した「プリメーラ」。2000CC級4気筒エンジンを搭載し、ハンドリング、サスペンションは欧州車に負けないどころか、凌駕していました。日産の販売店は欧州車のテイストに近いこともあって「そんなには売れないだろう」と期待していませんでしたが、予想を上回るヒットへ。「どうやっても、あのクルマには勝てない」とトヨタ自動車の経営幹部が悔しがるほどの仕上がりでした。
バブルと逆行した質実剛健の新車
私は売れると確信していました。いや、「売れて欲しい」と願っていました。この車が日本で売れるなら、日本の乗用車市場は欧米の乗用車に対抗できるレベルにステップアップできると期待していたからでした。
日本経済はバブル経済の頂点にあった時です。車の性能は二の次。走りより購入できる資力を他人に自慢するのが目的かと勘違いするほど高価格の車が売れました。話題はデカくて派手な装備を満載した車に人気が集まります。日産でいえば「シーマ」でしょうか。トヨタはシーマブームに対抗するため、「販売部門から豪華な装備にして欲しいと言われ、何でもかんでも加えたら新車もどんどんバブルになってしまった」と開発担当専務が苦笑していた頃です。
シーマのライバル車は「クラウン」。「いつかはクラウン」のキャッチフレーズで知られる日本のセダンの最高峰です。ゆったりとした乗り心地、静かな室内、シートにマッサージ器を内蔵した仕様もありました。海外には輸出できません。欧米、とりわけ欧州は200キロ近い高速時でも安心して運転できるベンツやBMWを尊び、日本の車に求められる品質は「割安で故障が少ない」ことでした。クラウン、シーマは日本だけの高級車でした。いわゆる高級車のガラパゴス化です。
プリメーラは、日本車に対する偏見を打破した車です。言い換えれば、バブル経済に沸いた1990年代に逆行していました。コンセプトは質実剛健。見た目は地味。誰もが振り向くカッコ良い日産車「スカイライン」「シルビア」「フェアレディ」と段違い。
走りは路面と密着した快感
しかし、一度ハンドルを握れば、素晴らしさがわかります。車輪がぴたっと路面に吸い付いた安定感がとっても気持ち良い。高速時は車体がスッと低くなるのがわかり、安心感がさらに増します。欧州車と遜色ないサスペンションのおかげでどんなコーナーでも不安を覚える揺れが生じません。「サスペンションが硬すぎる」という不満の声もありましたが、100キロ以上のロングドライブに出れば、この硬さが長距離運転に必須であることがわかります。疲れが全然、違います。
プリメーラを知ったのはまだ開発途上の時でした。1980年代後半、次代の乗用車開発の取り組みを知りたくて、技術陣の1人を紹介してもらいました。津田靖久さんです。日産の主力乗用車「ブルバード」の基本設計を継承した新車開発の責任者で、エンジン、サスペンションなど車全体の総合力をいかに高め、日本車が欧州車に叶わないといわれる壁をどう打ち破るかを文字取り、熱々と語ってくれました。
話を聞いているうちに、欧州車にはかなわないと思っていた日本の小型セダンがどんどんその背中に迫り、追い抜けるのではないか。そんな期待感が湧いてきます。インタビューの後、津田さんが手がけた車を借りて関東の端まで往復してきましたが、車との一体感に感動。津田さんが開発主管として近く発売するプリメーラはもっと素晴らしいセダンになるはずと確信。もちろん、購入しました。
狙い通り、欧州で高い評価
狙い通り、プリメーラは日本国内よりも海外、とりわけ欧州で高い評価を集めます。ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初めての2位に輝いた事実でわかってもらえるはずです。車名の由来である「第一級、最高級」を体現したといっても良いでしょう。
日産の開発者といえば、誰もが思い浮かべるのは桜井眞一郎さん。スカイラインGT-Rの生みの親です。お会いしたことがありますが、オーラを発散しまくるスター技術者でした。「車とは・・・」から始まり、いかに馬のように走る自動車を創造するかを語り続けてくれました。その後も日産は優れた名車を輩出している事実から、独創的なアイデアと野心を持った技術者が多くいたことがわかります。
ただ、販売が下手でした。日産がずっと経営不振から抜け出せない理由は技術力ではなく販売力の弱さ。そこに現場の声を聞かない経営陣が誤った経営戦略を放つ悪循環から抜け出せないことと考えています。
利益優先の経営が技術を削いだのか
ところが直近の日産は新車開発力も衰えてきたのでしょうか。2024年9月中間決算で事実上、利益ゼロの窮地に陥った時に「日産には売る車がない」と嘆く声が日産社内から聞こえてきます。脱炭素の時代に向けて電気自動車(EV)に注力する一方、トヨタ方式のハイブリッド車とは異なる発想のエンジンシステムを開発しています。しかし、市場が望む車でなかったのか。
新たな市場を創造できるぐらいの優秀な技術陣を抱えていたのに不思議です。創業90周年を超えた日産です。あの優れた技術者魂はどこへ。立ち去ったのか、消してしまったのか。あるいは追い出したのか。すべては経営者の責任?!。1999年に舞い降りたカルロス・ゴーンは「V字回復」と称して開発投資を大幅削減して利益を嵩上げしたことがあります。この後遺症、そして発想がまだ継承されているのでしょう。残念です。
◆ 写真は日産自動車のHPから引用しました。