実録・産業史10 終焉を迎える創業家による経営 トヨタは豊田家か

「最強トヨタ」は自工と自販の競い合いから生まれ、築かれた神話の一つです。自工が開発、生産を極め「売れる車」を生み出します。自販は「まだまだ不足だ」と厳しい指摘を繰り出します。開発と販売の会議では展示された新車のクレイモデルがあちこち指摘を受けて、クレイモデルが崩れて消えてしまったこともあるそうです。ですから、輸入車に比べてちょっとデザインなどが劣っていても、トヨタのディーラーは新車を売ってしまうのです。自工は自販が納得する車を渡す。自販は引き受けた以上は売り切る。この強烈な力の衝突がトヨタの求心力を強め、最強トヨタにたどり着いたのでした。

自工、自販の合併から40年、自販の「いなせ」「凄み」が消える

1982年、自販と自工が合併してトヨタ自動車が発足します。合併は1+1=2ではなく、最終的な答は3以上の水準を目指すものです。その後の歴史を見ればわかりますが、成功でした。しかs、合併から40年間も経過して振り返ると、自工の手堅さだけが生き残り、自販の「いなせ」「凄み」が薄らぎ消えてようです。自工と自販の競合こそが強靭な世界企業になる原動力でした。「ホンダが消える」シリーズでも触れましたが、ホンダが世界企業に成長したのは本田宗一郎さんと藤沢武夫さんの相反する個性のぶつかり合い、そして両氏の薫陶を受けた人材が相克を継承しながらホンダの強さを生み出し続けたのです。トヨタの場合は本田宗一郎が自工、藤沢武夫が自販となるのでしょうか。

トヨタは絶好調です。今、自らの未来を描き切れていないホンダとは違う未来が待っているのでしょうか。その答えはやはり創業家による経営に常に付き纏う宿痾に潜んでいます。1992年に就任した豊田達郎社長の時代にその一端が露呈しました。

関連記事一覧