自らの知識と感覚を信じ、書き続ける「自遊」を教えてくれた松岡正剛さん 

 「遊」に出会ったのは、大学生の頃。書店の棚を眺めていたら、えらく豪奢な表紙に飾られた雑誌を見つけました。タイトルは思い切りの良い字体で描かれた「遊」が鎮座し、表紙全体のレイアウトも斬新という言葉がピッタリ。カッコいい〜。特集のキャッチコピーだけでは中身はよくわかりませんが、「おもしろいから読んでみな。」と語りかけてきます。

大学生の時に出会う

 手にとってパラパラと開くと、写真家、詩人、歴史家、俳優ら名前ぐらいは知っている人物が次々と登場します。当時、大学のゼミで「経営哲学」「批判的科学方法論」に追われ、消耗していた「脳」にはとても新鮮に映りました。価格は1000円前後。40年以上も前です。学生にとってはかなり高額ですが、気分転換に酒だけ飲む生活を続けていたら脳が腐ると思い、購入を決意しました。

 期待通り、どの記事も常識に縛られずに自在な視点から独自の世界を切り出し、提示してきます。筆者の気合いが伝わってきます。直球ど真ん中で投げる記事もありますが、いろいろな曲球もあります。ただ、漢字とカタカナが多くて読みにくい。読めば賢くなりそうな気がするけれど、こちらの知識と経験が追いついていきません。頭の体操と割り切るのですが、体操初心者には読み応えよりも読み疲れを覚えます。それでも、大学を卒業して新聞記者になってからも、「遊」を探し出して読みました。

藤原新也、村上陽一郎、荒俣宏、三上寛

 手元に残っている1982年5月号「遊」を開きます。特集は「藤原新也の原感覚」。「インド放浪から全東洋への旅13年間、そして”東京”へ」と題した巻頭特別企画は32ページにわたって、藤原新也のワールドを謳歌します。「ニンゲンは、犬に喰われるほど、自由だ。」など魂がこもった写真が綴られ、藤原新也との対談が織り込まれます。対談相手は松岡正剛。「遊」の表紙に記した肩書きに従えば「editorial direction」、つまり編集責任者。

 5月号には、他にも「一匹狼たちの午後」「狂気と創造の境界線から」「全身体感覚地図」などふんだんに言葉遊びしながら、大胆に切り込む記事が満載されています。書き手は文字通り、多士済々。科学哲学の村上陽一郎が冒頭に登場したと思えば、谷川俊太郎の文章に赤塚不二夫が「天才バカボン」のイラストを描きます。荒俣宏、三上寛らがお約束通りに加わります。

 いずれも、とても刺激的です。それは全て松岡正剛ワールドです。正直、記事や写真、イラストなどすべてを楽しめませんでした。共感もしません。ただ、松岡正剛さんが自身の知識と感覚を信じ、自らの世界を仕上げる姿勢に感銘を受けました。

1982年10ー11月合併号

遊ぶように世界と対峙する楽しさ

 目の前に広がる風景、そこから生まれる感動と疑問。すべてを飲み込んで世界の実相を暴いて見せるぞ!この迫力が大好きです。百科事典を脳にインプットしたかのような知識力と多彩な人脈を土台に、まるで遊ぶよう世界と対峙する。雑誌「遊」とは自由に、当たり前と思われている常識を捨て、自身が世界と会話する「自遊」を楽しむもの。こう語っているのだと勝手に理解しています。

 雑誌「遊」が消えてからも、松岡さんはジャンルにとらわれずに様々な書評を掲載するネットサイト「千夜千冊」を立ち上げ、東京・丸善の丸の内店内に自身が選んだ書籍を本棚に並べた「松丸本舗」を開きました。私は時々「千夜千冊」を覗いては変わらぬ探究心に脱帽し、松丸本舗を訪れては「生々しい知識欲」を追体験し、「松岡正剛」を感じていました。

 でも、やっぱり「遊」が一番。地上から天空まで自由に駆け巡る人間の知の力を感じ、勇気づけられます。

 2024年8月12日、松岡正剛さんがお亡くなりになりました。80歳。今は地上に縛られず、より自由になって天空を飛び回っているのでしょう。

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