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65歳から始めたメディアサイト😓⑥とにかく原稿を書く、迷ったら書く

 原稿が書けない。予想はしてたけれど、やはりそうか。パソコンの画面を前にしても、指が動きません。かなりショックでした。

パソコン画面を前にしても指が動かない

 ここでガックリしているわけにはいきません。原稿を書く力は自分の努力でなんとか元に戻せます。30年間も記事を書き続け、10年ぐらい前まではそれなりに書けていたんですから。過去の経験がパッと消えるわけがありません。自転車を乗り回るのと同じです。小さい頃に覚えたことは歳をとっても頭はパァ〜となっても体は忘れない、と自らを鼓舞します。

 といっても、10年近い空白期間はボディブローのように体に残って消えません。新人記者のころは鉛筆かボールペンで、とにかく文字を原稿用紙に書いていました。日本語の文章かどうかは定かではなりませんが、原稿を手直しするデスクからは「おまえは革命的な文章を書くねえ」と評され、「革命って、ゲバラみたいじゃない。格好良い」と勝手に良い方に解釈したものです。

記者時代は取材に忠実な原稿を書く

 記者時代の原稿は取材に忠実に原稿を書きます。当たり前のことですが、内容は事実に縛られますからあちこちと文章が飛ぶことはありません。ところがデスク時代は縦横無尽に書いてしまう自分を抑えるのに懸命でした。新聞記事として送られてきた若い記者の原稿を読んでいると、過去の取材経験がよみがえり「取材した裏にはこんな思惑が潜んでいるのではないか」「いや自分が取材していた時はこうだったから、今回の進展ぶりを考慮すれば次の展開はこんな感じで進むはず」と原稿を直しながら、イメージがどんどん膨らんできます。新聞記事に「たら、れば」は絶対に禁物です。原稿に翼が生えてあらぬ方向に飛んだら、誤報となってしまいます。

デスク時代は文章が湧いてくる楽しさ

 そんな調子ですから、デスクとして会社の席に座ると、編集用のデスクトップ画面を開くのが楽しみでした。記者らが送稿したリストが上から下まで並び、どれをまず読もうかなと眺めます。「記事は自分の日記を書くようなもの」と若い記者にはよく話しています。日頃の取材成果が積み重なって、読む人間が「へえって」感動します。ほとんどの場合、日記は他人に見せるのが目的ではないでしょうが、新聞は百万単位の読者に読んでもらう日記です。しっかり取材しなければ、他人に読ませられる日記は書けません。

65歳は脳内のデータが指先に伝わらず

 文章が湧くように浮かぶのが楽しくてしょうがなかった記憶がまだ残っています。ところが、2年前、WordPressの使い方を覚え、見慣れぬ投稿用画面を前にしても文字が見えてきません。若い頃は原稿用紙の升目、電子編集に移行してからはパソコン画面を目の前にすると、文章が浮かぶのが習性になっていたはずです。それが書きたいテーマやエピソードは頭の中をぐるんぐるん回っているのですが、すべて空回り。脳内で発生した電気信号が神経細胞を通じて指先に伝わって来ないのです。

 「エイ、ヤッ」と書き出します。主語と述語と目的語と唱えながら、文章を書き出してみますが、目も当てられない。もともと日本語は得意じゃないので、名文とはかけ離れた原稿しか書けないのは自覚しています。新聞記事はまず読者がわかりやすい内容に仕上げるのが最優先。それにはなんとか合格できるかなと思っています。なのに、WordPressの投稿画面に印字される文章は文字がたくさん並んでいるだけ。イメージは「ごちゃ」と音がする塊。泥か粘土を板に打ち付けた後のようです。

 まがりなりに書いても、今度は読み返す勇気がない。怖くて読めない。「こんな体たらくな・・・」という思いが駆け巡ります。挫折するわけにはいきません。サーバーを契約して、訳のわからないWordPressをなんとかわずかばかり使えるようになったのです。YouTuberをめざしてしていませんが、なんとなくネット時代のメディアの空気を吸えるようになったところです。

井伏さんが開高さんに「書けばよいんじゃない」

 やることはひとつ。書きまくるしかない。迷ったら書く。20代のころ、NHKの番組で井伏鱒二さんを訪ねた開高健さんが「机に向かう気がおきない」と嘆いたシーンをよく覚えています。井伏さんは「書けばよいんじゃないんですか、何でも」と答えるだけ。書けば良いんだよ、書くしかないんだよ。書けない時は、書くしかない。お二人の足元にも及ばないですが、呪文のように唱えて原稿用紙に3Bの鉛筆で字を書き続け、鉛筆の代わりにパソコンのキーを叩き続けてきました。

記者時代の葛藤が財産であることを痛感

 65歳から始めたサイト制作は自分自身の記者時代の葛藤を思い出させ、それが財産であることも教えてくれました。

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