アフリカ土産物語(13) マンデラ追想 女子留学生の遺志継ぐ

 アパルトヘイト(人種隔離)政策が終わろうとする南アフリカで1993年、和平プロセスに参加していた米国人女子大生、エイミー・ビールさんが黒人少年らに殺される事件があった。10年後にそれを知った私は「なんて理不尽な」と思ったが、驚いたのは、娘を失った両親が加害者の少年たちを赦し、娘の遺志を継ぐ支援活動をしていることだった。

米国人の両親は殺害した少年たちを赦し、娘の遺志を継ぐ

 ネルソン・マンデラにあこがれたエイミーさんは米国のスタンフォード大学を卒業後、フルブライト留学生としてケープタウンにやって来た。持ち前の人なつこい笑顔をたたえ、初めて行われる全人種参加の総選挙の準備作業にボランティアで携わった。

 帰国を数日後に控えた93年8月25日、彼女はマイカーで黒人の友人を自宅に送るために立ち寄った旧黒人居住区で「白人を殺せ」と叫ぶ黒人の街頭デモに出くわした。殺到する群衆に車から引きずり出され、少年らの凶刃に倒れた。26歳だった。

 エイミーさんの両親は絶望や憎悪の感情をどうやって鎮めたのだろう。「娘の願いは国民融和を支援すること」。そう考えて4人の加害少年の罪の告白や母親のざんげに耳を傾け、少年らの免責を求めたという。さらに娘の名にちなんだ基金を創設し、釈放された少年たちをスタッフに迎え、手作りエプロンなど土産物の販売やエイズ対策を通して黒人社会を支える活動に乗り出したのである。

ケープタウンを望む

加害者の母を知る作家が加害者と被害者をつなぐ小説を発表

 加害者と被害者をつないだのが、事件現場のそばで育ち、加害者の母を知る女性作家シンディウェ・マゴナさんだった。シングルマザーとして、小学校教員、白人家庭のメード、失業生活を経て通信制の大学を卒業。米国の大学院で修士号を取得してニューヨークの国連本部で職を得た。仕事のかたわら文筆活動にも力を注ぎ、加害者の母から被害者の母に宛てた手紙の形でつづられた小説「母から母へ」を発表した。

事件現場で出会った子どもたち。悲劇の暗いイメージは感じられなかった。

 国連を退職して故郷に戻るというマゴナさんに2003年、ヨハネスブルクで会った。「偶然、加害少年の母親の一人が幼なじみで、他人事とは思えませんでした。彼女の悲しみと少年の境遇をエイミーさんの母親に伝えようと、ノンフィクションに近い小説として1998年に世に出しました」。思慮深さがうかがえる口調だった。( 冒頭の写真は日本語訳の著書を持つマゴナさん)

 マゴナさんは「黒人への偏見は根強く、エイズ、失業、犯罪、女性の低い地位など課題が山積み。貧富の差を埋めるための活動を30年計画で取り組みたい」とも語った。小さな十字架が立つ事件現場で近所の青年が「黒人には相変わらず仕事がない」と失職中の身を嘆いたのを思い出した。だからこそ、エイミーさんの遺志を継ぐ活動は必要だったのだ。

事件現場に立つ十字架

マンデラが唱えた「融和」に通じる精神

 「エイミーさんの母リンダさんはなぜ加害者の母を許せたのでしょうか」。小説がきっかけで遺族との知己を得たというマゴナさんに尋ねると、彼女は静かにうなずき、「リンダさんの心の大きさです。娘さんの素晴らしさも彼女を通して私に伝わりました」と答えた。それはマンデラが唱えた「融和」にも通ずる精神である。この事件は映画化の構想もあるようだ。奇跡的な「赦し」に世界中の人々が映像で触れることを願う。(城島徹)

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