アフリカ土産物語(11) マンデラ追想 エイズで旅立った12歳の少年
今世紀初頭の南アフリカは猛威を振るうエイズ禍に見舞われ、多数の犠牲者を出していた。エイズに体を蝕まれながら、差別や偏見と闘い、12歳で亡くなった少年がいた。ネルソン・マンデラ元大統領から「聖像」と称えられたヌコシ・ジョンソン君である。
ヌコシ君は母親からエイズウイルス(HIV)に胎内感染した。母を失い、エイズへの偏見から小学校への入学を拒否されたが、あきらめずに「学校に行きたい」と訴えた。それが大きな論議を呼び、政府をHIV感染者への差別禁止へと動かすきっかけとなった。
エイズ啓発行事にはヌコシ君の写真も
「僕らは普通の人間なんだ、歩きもするし、話もできるよ」
2000年7月、彼はインド洋に面した都市ダーバンで開かれた世界エイズ会議に登壇した。そこで「僕らは普通の人間なんだ。歩きもするし、話もできるよ。僕らはみなと同じ人間なんだよ」と呼びかけ、世界中のエイズ関係者に感動を与えた。
命がけの訴えだったのだろう。そのあとヨハネスブルクにある民間のエイズ感染者救援施設「ヌコシの家」で闘病していたが、みるみる体調が悪化して症状は脳に及んだ。2001年の初めから意識が薄れる状態が続き、6月1日早朝に亡くなった。体重は約9キロだった。マンデラは「彼はこの伝染病にどう向き合うべきかを示してくれた。本当によく頑張った」と小さな闘士の死を悼んだ。
6月9日。葬儀が営まれたヨハネスブルクの教会は無数の花束が供えられていた。参列者の一人として中に入ると、祭壇のそばに小さな亡骸を収めた真っ白な棺が置かれていた。笑顔の「聖像」のポスターがステンドグラスに貼られ、そこに「ヌコシ君の愛と勇気とともに、HIVに感染し、見捨てられた子どもたちをケアする決意で心を満たせ」の文字があった。嘆きと悲しみを抱えた聖歌隊の讃美歌が胸に迫った。
教会に置かれたヌコシ君の棺
彼が生前過ごした「ヌコシの家」を後日訪ねると、HIVに感染した母親10人と子ども20人が共同生活を送っていた。フェロザさんという28歳の母親は「私だけでなく、この子も感染者と知った時は気を失いそうでした」と言って、小学生の長男イスマイル君を抱き寄せた。
彼女は当時まだ3歳だった息子から「死なないでね」と言われ、闘病を決意したという。症状が進行せずに成長したイスマイル君は「大きくなったら、小学校の先生になるんだ」と言ったが、その姿を母親は見ることなく、取材してから数カ月後に力尽きた。
私の周囲の知人やその親族の訃報も含めエイズによる悲劇は日常的に起きた。それほど過酷な時代にあって、人々の心にあたたかな光を与えてくれたヌコシ君。その生涯を描いたジム・ウーテン著「WE ARE ALL THE SAME(邦題「ぼくもあなたとおなじ人間です」)」には、埋葬に際してメソジスト派の主教はシェイクスピアの祝祷を捧げたとある。
≪おやすみ かわいい王子 飛び交う天使が そなたの安らぎを歌う≫
ヌコシ君の伝記「ぼくもあなたと同じ人間です」
絶望的な時代でも、輝きを放つ人物は必ず現れる
どれだけ絶望的な災厄禍の時代でも、輝きを放つ人物が必ず現れる。そう教えてくれたのがヌコシ君だった。(城島徹)
※ヌコシ君の葬儀と、ありし日のヌコシ君
https://www.youtube.com/watch?v=ni8aoVm-yew