アフリカ土産物語(29)姿を消した難民少年 5000キロの逃亡生活を経て南アフリカへ脱出
警察から少年保護の連絡
「あなたの名刺を持ったウガンダ人の少年を保護しています」。2001年秋、南アフリカのヨハネスブルク支局に近くの警察署から電話があった。駆けつけると、控えめな笑みを浮かべた少年がいた。その半年前、1500キロ離れた隣国ザンビア北部のアンゴラ難民定住地で出会った18歳のユスフ君だった。「ここを脱出したい」と真剣な目で訴える彼に名刺を渡していたことを思い出した。
刑務所での飢えと拷問から逃れ
「ウガンダからの密入国がばれて最近まで刑務所にいました。そこは飢えと拷問の地獄で、1週間にパン一切れと水だけしか口にできず、毎晩、レイプにおびえて過ごしました。今はアンゴラ難民と一緒に保護されているけど、一刻も早くここを出たい……」
ザンビアで聞いた彼の話を思い出しつつ、「なんでここに?」「無謀じゃないか」と言いかけたが、とにかく事情を聴いてみようと、彼の好物のバナナを買って連れ帰った。
かといって支局は保護施設ではない。難民の境遇に理解ある教会を探して彼を預かってもらった。教会での寝泊りを許されてホッとする彼に「君の身に何が起きたのか書いてみて」とノートを渡した。数日たって様子を見に行くと、生まれてから5000キロに及ぶ孤独な逃亡経路が42枚のルーズリーフにびっしりとつづられていた。
ウガンダからタンザニア、ザンビア、モンザンビーク
≪僕は母親の故郷スーダン南部の村で生まれ、ウガンダで育った。高校では成績が全校で1番になりました。内戦で反政府勢力から戦闘に誘われ、怖くなってタンザニア、さらにザンビアへ逃走しました……≫
ユスフ君は私とザンビアで会ったあと、そこを脱出し、数百キロ離れた隣国モザンビークの国境を越え、さらに南アフリカに潜入した途端に捕まったという。その後、難民認定を受けて拘束を解かれ、私の名刺を持って警察署に救いを求めたのだった。
「この街で早く仕事を見つけたい」と目を輝かせる彼は未成年のせいかどこか自信なさげに見えた。「なんとか頑張ってほしい」と思うと同時に、過酷なアフリカの現実を突きつけられたように思えた。
治安最悪のヨハネスブルグで姿を消す
命からがらの孤独な逃亡を経て、異国でどうやってサバイバルできるだろうか――。心配していたところ、ユスフ君の姿が教会から消えた。「街中の路上にいた」とのうわさを聞き、「世界一治安が悪い」といわれるヨハネスブルクのダウンタウンを探したが、消息はつかめなかった。
「いったいどこにいるんだ?」「事件に巻き込まれていないか?」――。自分の無力さを痛感した。よれよれになった私の名刺を持って追いかけてきたユスフ君が書き残したルーズリーフを見るたび、あのすがるような眼差しを思い出す。過酷な人生を背負いこんだ少年は生きていれば不惑となる年齢だ。なんとか生き延びて幸せな日々を過ごしていることを願う。(城島徹)