草間弥生さんのNYパフォーマンス

阿佐ヶ谷の屋台、栃木屋から見た風景(その1)近未来の自分を映し出す仮想空間

居酒屋を舞台にしたコンテンツが人気を集めています。吉田類さんの酒場放浪記、深夜食堂がその代表例でしょう。深夜食堂の店主が「うちは居酒屋じゃない」と話す台詞がありますが、私には居酒屋ならではの和みを感じるので含めました。いずれも店主のキャラクターが1番のサカナと思いますが、そのキャラはお客さんが染める色合いでさらに濃くなり、良い味が出ます。深夜食堂のお馴染みさん、常連客を見ていると、20歳代の頃に通ったJR阿佐ヶ谷駅前に出ていた屋台「栃木屋」をどうしても思い出します。お酒の飲み方、偶然隣り合った人との距離感と親しみ方、などなど多くを学びました。現在の言葉ならダイバーシティーという表現になるのでしょうが、ホント多くの方と会い、話ができました。人と会う新聞記者を生業とした自分にとって、まさに人生修行の一歩となる時間と空間でした。社会人に向けてのスタート地点との想いが強いので、「From to ZERO」の場でやはり字にしておきたいと思います。

屋台は草間弥生さんのNYパフォーマンスと同じかも

写真は草間弥生さんがニューヨークのルイヴィトンの店舗で演じたパフォーマンスです。2012年夏だと思います。ショーウインドウには多くの人が集まり、草間弥生さん本人なのかフィギアなのか見分けがつかないほどそっくりな質感に驚き、ジッと見詰め合い笑っちゃうのでした。草間さんのサングラスと瞳孔には見ている自身の姿が写っています。パフォーマンスに驚き笑っているはずが実は自身の姿を見られていることに気づき、再び感動します。阿佐ヶ谷の屋台、栃木屋ではおでんを煮る四角い鍋を挟んだ長椅子にいろいろなキャラクターの人が座り、お互いの体験をサカナに深夜まで酒を飲むのですが、田舎から出てきた20歳ごろの私にとっては近未来の自分の姿を仮想空間のように映し出してくれる長椅子でした。

新聞の読み方、真実を知ろうとする姿勢を教えてもらう

「真実は簡単にわからない。知ろうと思ったら努力しなければいけない」。こう教えられたのも栃木屋でした。1975年春でした。突然亡くなられた著名な評論家のお葬式に出席された後に立ち寄った詩人とお話しする機会がありました。私が隣の人に「新聞やテレビから得られる情報がどの程度真実なのか異なるのかを考えると信頼できない」と生意気なことを言ったところ、向かいに座っていた人が話しかけてきました。「私は詩人なんで新聞に詳しいわけではないが、君は新聞を購読しているの?」と聞き返してきました。「一紙だけです」と答えると「一紙だけでわかると思う?真実を知ろうと思ったら、新聞全紙を読まなければいけないし、関心のあるニュースについて書いてる新聞や本、テレビで伝えている映像など全てをチェックする努力が必要だよ。一つの新聞で本当のことを知ることなんてできないよ」。これをきっかけに「世の中で起こっていることをどう理解するのか、その事実についてどこまで知っているのか、知っていないのか」など自分にとってはかなり背伸びしても手が届かない話題が続きました。最後にその詩人は「私が葬式に行ったのは〇〇さんで日本刀で自殺したんだ。私は弟子です。今夜は楽しい話題は話せないよ」とポツリ。著書を読んだこともなく名前しか知らないのに、浅はかにも「そうですか」と相槌を打っていました。

セピア色の電球の映す詩人さんが飲む姿が格好良かった

それから1ヶ月後、ベトナムのサイゴンが陥落しました。私はお金が無いにもかかわらず駅前に行って新聞を全て買い、サイゴン陥落の記事をアパートで読みました。雑誌は本屋さんで立ち読みです。以来、興味のあることはこの繰り返しです。「詩人はいつも金が無いよ」とその人は苦笑しながら、お酒をチビっと美味しそうに飲みます。眼鏡をかけ頬がこけた表情は屋台の裸電球でセピア色に染まっていました。

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