旭川・近文②知里幸恵の天性の才を守る中学校 アイヌの神謡は今も語り続ける

 JR近文駅から路線バスに乗って最寄りのバス停で降り、しばらく歩くと旭川市立北門中学校に着きました。訪れたのは3月下旬。校庭にはまだ雪が残っており、大きな石碑も足元が雪に埋れていました。「知里幸恵文学碑」です。

知里幸恵文学碑

 この中学校はアイヌ神謡集などをまとめた知里幸恵さんが育った場所に建設されています。知里さんに関連した多くの資料やアイヌ関連の貴重な品々が保管、展示されているため、ひとめみたいと思い、訪ねました。旭川市博物館でも知里幸恵さんのコーナーで自筆原稿などが展示されていましたが、パネルに加工され、ちょっと物足りない。もう少し彼女の才能を花開かせた力を見たかったのです。

突然の訪問に「ゆっくり見学してください」

 中学校に着いたものの、学校は厳しいセキュリティーで守られている時代です。突然に、しかも地元・旭川市民ではない人間が訪れても「事前予約が原則です」と言われたらどうしよう。ちょっと不安がよぎります。

 校舎の職員室に通じるインターホンを押し、「突然で申し訳ないのですが、知里幸恵さんの資料室を見学したいと思い、訪ねました」と伝えます。応対してくれた方はインターホンの向こうで一瞬、事態が飲み込めなかったのか「エッ、エッ」と声を挙げていましたが、「ちょっと待ってくださいね〜」。数分後、男性の先生が笑顔とともに現れ、「どうぞ、どうぞ」と招き入れてくれました。

アイヌ文様の美しい刺繍

 中学校の校舎に入るのは久しぶり。当たり前のことなのでしょうが、床はピカピカ。入るとすぐ左にアイヌの工芸品や衣服がガラスケースに展示されています。ガラス越しですが、アイヌ文様の美しい刺繍に見惚れます。突然の訪問をわび、靴を脱いでスリッパを履くと、男性の先生は名刺を差し出し、「ゆっくり見学してください」と話してくれました。教頭先生でした。中学校の教頭先生に会うなんて、「いつ以来?何十年ぶりだろう?」という驚きと疑問で頭の中は「???」でいっぱいに。なんのために北門中学校へ訪れたのかを忘れてしまいそうでした。

知里幸恵さんの誕生日には「銀の滴降る日」を

 北門中学校のホームページには「知里幸恵」というカテゴリーを設け、ていねいな説明を掲載しています。

 知里幸恵(1903ー1922)は,「アイヌ神謡集」の編訳者として世に知られています。彼女はその19年の短い生涯のうち,大半を占める6才から19才までの約13年間を旭川で過ごしました。彼女が旭川で生活していた場所が,現在の北門中学校の敷地でした。
このことを後世に伝えるために,地域の方の協力のもと,平成2年(1990年)には校舎前庭に「知里幸恵文学碑」が建立され,平成9年(1997)には校内の一角に「郷土資料室」,平成19年(2007)に「知里幸恵資料室」が整備されました。
また,毎年6月8日には,知里幸恵の誕生日を記念し北門中学校にて,知里幸恵生誕祭『銀の滴降る日』を地域実行委員会主催のもと開催しています。

 令和4年(2022年)は知里幸恵さんが亡くなってから100年過ぎたことから「知里幸恵没後100年 ムカシ玩具 舞香一人芝居 神々の謡~知里幸恵の自ら歌った謡~」を公演したそうです。

アイヌの丸木舟

丸木舟の製作記録が廊下に

 資料室に向かう途中、校舎の壁には大きな模造紙が何枚も張り出されていました。貼られていた写真とマジックで手書きの文を読むと、アイヌの丸木舟を製作した経験が書かれています。中学校や高校のころ、壁新聞を作った思い出が蘇りましたが、丸木舟のような手間と根気が必要な授業は経験していません。丸太を半分に切って掘り出す作業は、楽しかったのかな、それとも辛かったのかな。どちらにしても一生忘れないだろうなあ。

丸木舟製作の記録

ご両親への手紙に人柄が

 知里幸恵さんの資料室に入ります。家族の写真や手書きの原稿などが展示されており、ご両親への手紙を読むとその人柄が浮かぶ上がってきます。知里さんの「日記」を読んでも感じますが、周囲への感謝の気持ちがきめ細かい。自分が丸っ切り正反対な性格なせいか、とにかく気遣いの素晴らしさに驚くばかりです。その気配りが文章にしっかりと表現されています。19年間の短い人生の中でアイヌ語と日本語を使って巧みに、しかも繊細に表現する力に「天性の才」という言葉しか思いつきません。

ご両親への手紙

金田一京助は「幸恵さんに学んだ和人」と

 その才能を愛した金田一京助の原稿もありました。その中で「アイヌが生んだ玉のような才媛幸恵さん」と評するとともに、自らを「幸恵さんに学んだ和人」と書いています。金田一京助の国語辞典(三省堂)をすり切れるほど愛用していた私にとって、この文章を見ただけで「知里幸恵資料室」を訪れて、よかったと納得しました。

金田一京助の原稿

近文の集落区画割図から生活が蘇る

 校舎内に併設された「郷土資料室」を覗いてみました。アイヌの生活、文化などさまざまな工芸品や道具などが展示されています。手書きの地図を見つけました。近文につくられたアイヌ集落の区画割図でした。各区割りに住んでいる家族の名前が記入されています。朝夕のあいさつ、食事の頃の煙、人の往来。生活する空気が綴じ込まれているようです。

近文のアイヌ集落

 そういえば、私の母親はいつも手を動かし、料理を作ったり裁縫をしたり、時には内職もしていました。時々、手伝いをしながら、母親や兄弟とワイワイ騒ぎ、笑っていた時間が楽しかったこと。急に思い出してしまいました。

アイヌ集落の住居

 

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