美の猟犬と骨董裏おもて

経営者の魂が生きる大阪の美術館(3) 「美の猟犬」と企業のサスティナビリティ

 「美の猟犬」には武智鉄二氏、日本経済新聞社社長を務めた圓城寺次郎氏、立原正秋氏ら安宅英一氏が美術品を蒐集する舞台裏で蠢いた人物が登場します。蒐集で気になる人物として広田不狐斎氏を上げています。同氏は奉公時代、藤田傳三郎氏が恋憧れていた「交趾大亀香合」を当時の9万円で落札したのを新聞の号外で知り、大いに頑張らねばならないと肝に銘じたと自著「骨董裏おもて」に書いた人物です。また東京・日本橋の「壺中居」の共同創業者であり、日本の骨董の世界で見逃すことができない人物です。「美の猟犬」と合わせて読むと、茶道具などを蒐集する数奇者の世界を垣間見ることができますが、私には彼らの気迫と思い入れにはただただ驚くだけでしたが。

粉青粉引 瓶を徳利にお酒を一杯やりたいなあ・・・

 東洋陶磁で最も欲しいなあと思ったのが「粉青粉引 瓶」です。「美の猟犬」によると「大徳寺の立花大亀和尚が気に入り月夜の晩にこの徳利一つをぶら下げて寺へ来て、一緒に飲まないか」と誘われたことがある、とあります。安宅氏は昭和31年に購入しました。ガラス越しに見ても、おいしそうな徳利です。1度はお酒を入れて飲みたいと思わせます。うまいでしょうね。

 注ぐ時はどんな音がなるのでしょう。「トク、トク」でしょうか、それとも「クゥク、クゥク」って鳴るのでしょうか。時には「色絵 秋草文 徳利」で華やかな気分で一杯やるのも良いかも。眼と耳と舌、そして第六感も加わっても日本酒の芳醇さを堪能できるはず。でも酔っ払って壊したら、怖い、怖い。

 「経営者の魂が生きる大阪の美術館」と題しましたが、安宅英一氏が果たして安宅産業の経営者と捉えて良いのか疑問はあります。絶大な影響力を持っていたのは事実ですが、安宅産業の未来、社員らのことをどこまで考え経営していたのか。

 広田不孤斎は著書「骨董裏おもて」で骨董蒐集の功罪について書いています。出身地である北陸の加賀の金沢、越中の富山では資産家は3分の一を骨董、不動産、事業資金に分けて投資する。それが危機を救うことにつながるのだと。例えば細川家の細川護立さんから聞いた話として、かつて細川家は飢饉で領民を救うために道具を売って米に換えた。だから道具類を持っていない。あるいは大阪の旧家が経営する銀行の例を上げ、創業家の経営者は番頭らから道楽者と悪く言われていたが、銀行経営が危機に陥っていた時、運良く日露戦争後で骨董が高騰していたので、道楽のおかげでその穴を埋めたという。

 安宅産業の場合はどう考えたら良いのでしょうか。会社の負債は何千億円にも上り、とてもコレクションで穴埋めはできなかったそうです。結果として東洋陶磁美術館が誕生し、安宅の名前が残った。

 

改装中の大阪市立東洋陶磁美術館

 藤田美術館を訪ねた後、その足で中之島の東洋陶磁美術館まで歩いて向かいました。2023年秋まで改装のため休館しているのはわかっていたのですが、安宅の執念というのか魂を閉じ込めているかのような建屋を再び体感したいと考えたからです。改装の狙いは知りませんが、安宅英一氏の思いをしっかりと留められるように工事しているとしか思えません。

 余計な話題ですが、安宅英一さんと思わぬ接点がありました。同氏がよく利用していたという東京・浜町の料亭。実は私もよく通っていました。もう料亭を廃業して手軽な居酒屋になっていたので通えたのですが、店内の雰囲気と料理、料理長と気が合い、日本酒と料理一品を頼んでいつも気持ち酔っ払っていました。

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