2年目の手話1年生、手の所作🖐の美しさに見惚れ、覚えることを忘れる😓
手話講座をようやく楽しめるようになってきました。昨年1年間は講座がコロナ禍で寸断されてしまい休講期間が長く続いたため、時折再開する講座に参加するとかなり緊張していました。「初心者だから勉強するんだ」と割り切れば良いのですが、授業中10分前に教えてもらったことを気がついたら忘れています。「にわとりは3歩あるくと忘れる」ということわざがありますが、目で見た手話の表現が耳から漏れていくのを実感しました。昨年は手話に関することは、「へえ〜」「この表現はこう考えて編み出したのか」という驚きの連続。脳のキャパシティを超えていました。
2年目はようやく楽しく受講できるように
2年目に入って講座を楽しいと思えるのはなぜか。「2年目だから手話の知識が上積みできたから」。というわけではないと思いっています。まず手話を見ることに慣れたのだと考えます。この1年間、休講の間はNHKの番組「みんなの手話」やYouTube、DVDなどで時々、手話を眺める自習を重ねていましたが、番組後半は居眠りしている自分に気づく場合がほとんど。
ところが、2年目に入って手話の連続的な動きに目が慣れてきたのでしょう。手話独特の表現や指文字の動きが一体的に眺められるようになったできました。もちろん、自分にはまだ手話そのものの語彙がほとんどありません。ただ、自分の目線だけで手話を見ていたのでは、手話は覚えられないとわかったのです。
分かりにくいので、もう少し説明します。手話を読み取る側を表、手話を表現する側、つまり自分を裏とします。手話の練習は指文字を例にするとわかるのですが、「あいうえお」を表現しよう右手の5本指を1本ずつ動かしていきます。「覚えた」と思っていても、読み取ることはできないことがほとんど。さきほどの表と裏の関係でいえば、読み取る側は表ですから、裏側の自分が「あ」だと思って右手の握り拳から親指を左側に伸ばしても、表側は左側の握り拳の親指が右側に伸びています。自分の目には手の甲を見ながら親指が左に伸びているのですが、相手側は5本指が握られている握り拳から親指が左側に伸びています。
手話は自分側、相手側で見える風景が違います
実際にやってみて分かるのは、手、指、拳から感じる風景がとても違うことです。ここまでは1年間、手話をぼんやり勉強してきた初心者の感想です。多くの人には当たり前と思えることにようやく気づいた時点で、読み取るためには手話を表現する所作を「全集中」で注目することにしました。「一指一語の方」ともいえます。指一本、その指の方向がが右か左か、上か下かで意味が変わります。手話を表現する人の所作に目線を集中します。
そうすると、今度は所作の流れがとても重要だということを発見しました。実際にはありえないのですが、手話で次々と表現される指や手の動きから透明な線が描かれているように感じられ始めました。意識して透明な線を追いかけていると、手話の所作はとても合理的というか無駄のない動線を描いています。流れで覚えることは、単語一つずつではなく文節全体で覚えることだとようやくわかりました。
当然です。私たちが話す言葉も使用頻度が多いほど短縮され、本来の言葉からかけ離れることがたびたびです。オッサンの私が中高生の会話が理解できない理由のひとつです。英語の勉強も同じだったことを思い出しました。
ネイティブの所作は切れ目がなくスピード感たっぷり
といっても、手話の所作の流れを目で追うのは大変です。微妙に異なる所作でも初心者には同じ動きに映ります。しかも、講座の先生が使う言葉に倣えば「ネイティブ」として手話を使う人は、連続して会話を表現しますからなおさらわかにくいのです。
でも、その流れは何もわからずに見ていても美しいですし、一連の表現にたくさんの言葉が紡がれていることを想像すると素直に感動します。理解できない外国語で歌っているにもかかわらず、感動してしまうソウルミュージックを聴いているのと同じです。
手話講座でも先生やちゃんと勉強している参加者のみなさんが表現する手話は、見ていて惚れ惚れします。さすがに少しだけ意味がわかる所作もありますが、全体の趣旨は想像しています。なんとか全集中して理解しようと目を凝らしていると、先生から「目で追うだけでなく、ちゃんとペンを動かしてメモして文章の意味を理解してください」とチェックされてしまいました。惚れ惚れと見ているだけで勉強している意識が薄いと見抜かれてしまったようです。
全集中で目で覚えるだけではダメ
手話を目で理解し、メモで文意を押さえる。これまで手の動きを追う二次元の鏡から会話を読み取ることを思っていたら、メモする手元を見ずにメモして文章を確認する三次元の発想で努力しなければいけないようです。いつ、手話を覚えることができるのか。石川啄木のようにじっと手を見てしまいました。