手話3年目の風景、自らの「声手」を超えて、これから新たに見えるモノが楽しみ

 手話の勉強が3年目を迎えました。地元の自治体が開く手話講座に参加し、通っています。参加費は無料。コロナ禍の休講が続いたこともあって、丸2年かけて初級クラスを終え、中級へ昇級できましたが、正直いって初級2年間を経験しなければとても中級クラスに参加する手話力は養えなかったでしょう。

 手話3年間で中級に、気分は小学3年生

 それでも手話3年目、中級クラスに入ると、小学校3年生ぐらいになった気分になります。どんな気分かといえば、なんとなく賢くなった気がしますが、賢いこととは何かがわかっていない。手のひらにこの3年間、覚えてきた何かが載っている実感だけが残っています。こんな感じでしょうか。

 中級クラスは大半が初級クラスから昇級した生徒。年齢層のばらつきは半世紀分もありますが、みなさん顔馴染みなので和気あいあい。2ヶ月弱の”春休み”を終えて久しぶりに会う高揚した気分を覚え、新学期を迎えた小学生3年生そのものです。年齢は大きくバラついていますが、同級生同士。再会を喜び合うのは当然です。

 講座初日はお約束通り、授業のオリエンテーション、受講生、先生が手話を交えた自己紹介が続きます。その後、先生は「皆さんに是非見ていただきたいビデオがありますと」と話し、テレビモニターにあるビデオを映し出しました。

スターバックスの実話をもとに制作した動画を視聴

 タイトルは「声手」。「こえて」と読み、「超えて」の意味も込めています。手話が声の代わりにその人が伝えたいことを表現するとともに、耳が聞こえる人と聴こえない人の間にある目に見えない壁を「乗り超える」趣旨と理解しています。

 動画は米国コーヒーチェーンのスターバックス国立店での実話をもとに制作されています。スターバックスの耳の聞こえない若いスタッフが注文を受ける瞬間を切り口にいくつかのエピソードが登場します。俳優が演じる手話のうまさには舌を巻きますが、5分間の動画がとてもポイントを押さえた編集になっていました。実話のエピソードはこれまでもテレビなどで紹介され、知っていましたが、俳優のみなさんの演技力もあって、しっかり感動します。一度、視聴ください。

「声手」の動画はYouTubeで視聴できます。https://www.youtube.com/watch?v=Si6bvCtA9gk

高校生の頃の理容院店主を思い出しました

 スターバックスの実話をもとにした動画を視聴しながら、高校生の頃、通っていた理容店のご主人を思い出しました。いつも耳に補聴器をつけ、言葉があまり明瞭でなかったので、聴力が弱いんだなあと思っていました。私は高校生の頃、髪の毛は肩まで伸ばしていましたから、理容院にいっても年に数回。髪を切っても、そろえるぐらい。それほど手間がかかるタイプじゃありません。

 それでも若いご主人は「今日はどんな風にしたい」「この夏は暑いから、もっと髪を切るか」などと質問します。言葉は明瞭じゃないので、何を話しているかわからないこともあったのですが、最後は鏡に映るご主人の目を見ながら「今日はこんな感じ」と話しながら、アイコンタクトで確認します。ニコッと笑い返すのがお互いの了解の合図でした。

アイコンタクトが会話の主

 しかし、あの時、こちらからもっと語りかける姿勢があってもよかったかなあと反省します。相手が話す言葉がよくわからないのだから、仕方がないという思いがあったのは事実です。他人への気遣いすらできない生意気な高校生でしたから、あの当時の自分では無理だったとわかっているのですが、「声手」の動画を見ながら、「理容院のご主人も何度も我慢した場面があったんだろうなあ」と反省するしかありませんでした。

 手話を学び始めて良かったなあと痛感するのは、自分が知らない世界がまだまだたくさんあることを教えてもらえることです。中学校の音楽の授業で、第九を作曲したベートゥベンは耳が聞こえなくなったと教えられても、「名曲を作ったんだから素晴らしいじゃない」と逆に羨ましいと思ったものです。こんなレベルの積み重ねですから、頭でわかったつもりでも、実践ができるわけがありません。

目に見えない人の生活も全然、見えていないはず

 視覚の弱い、あるいは見えな人のお手伝いを電車や人通りの多い道で手伝ったこともあります。手助けは当然と思っていても、目が見えないまま、東京・六本木の大通りを渡る怖さやJR池袋駅の人混みの中を分け入りながら歩く難しさまでは思い至っていません。

 まして日常生活の何気ない所作や言葉で意識せずに傷つけたり、無視していたことがあったでしょう。手話講座の先生たちは「とにかく細く長く続けてください」といつも強調しますが、手話講座の狙いが手話を覚え流暢に語ることよりも、目が見えない世界をもっと知り、身近に感じることが最も大事なことだとわかってきました。

石の上にも3年、楽しく勉強します

 「石の上にも3年」。冷たい石も座っていれば暖かくなるのだから、辛抱強くがまんすれば何かが変わる”たとえ”だそうです。手話の3年間は楽しかった。我慢したことはありません。これからも石の上には座り続けようと考えています。

関連記事一覧