激流が滝へ

65歳から始めたメディアサイト😍⑧ 散歩して、書いて、飲んで、楽しんで

 「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい」

山頭火の文章に魅了される

 種田山頭火の日記を読んで見つけた一文です。種田山頭火は山口県防府市で生まれ育っています。20年ほど前、広島に住んでいた頃、自然な息遣いを感じられる山頭火の句が好きだったので、ぶらりと防府市の生家などを訪ね回りました。日記や句集では自身の流浪の旅がとても率直に描かれています。ダニに食われて眠れないとぼやいたり、金はなくても酒を飲んだり。自分も同じ経験したことがあるだけに、苦笑することがたびたびです。そんな生活や旅から抜け出せない自分に対し、あんなに責めることはないのにと思いながらも、そこまで追い込めず、すべてを許し放しの自分自身に気づかされます。

 彼のような人生を送れるだろうか。俳人とは違いますが、30年以上も新聞記者として生きてきました。最後まで書き続けたいという思いは強くありましたが、山頭火の吐く息を感じる文章のような心境に至れるかどうか。句集や日記など著作を読んでいるなかでメモしていたことすら忘れていた「歩かない日はさみしい・・・・」の一文を最近、偶然見つけました。

 今はとても共感を覚えます。この文章のあとには「ひとりでいることはさみしいけれど、一人で歩き一人で飲み ひとりで作っていることはさみしくない」が続きます。幸いにも家族が一緒に住んでいるので、独りぽっちの境遇ではありませんが、「一人で歩き一人で飲み、独りで作る」のが大好きです。好きな酒は独りで飲むのが一番おいしいとつくづく思います。

村上春樹とネパール・ポカラが閉塞感をどこかへ

 サイト制作に取り組み始めたころ、手術した体調を取り戻すために毎日、近所の公園を歩き回りました。家に戻ってから、駄文を積み重ねます。夜は軽く飲みます。もう2年間、この繰り返しの毎日です。駄文の積み重ねは相変わらずですが、最近は書く楽しみの手応えを感じています。

 その感触がよみがえったのは村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を題材にネパール・ポカラの思い出を重ね合わせた時でした。30年以上も前、ネパール中央部のポカラを訪れた時、地元の人から「見逃しちゃだめだよ」と教えられた滝を見に行きました。道中、水牛が水浴びし、子供らと遊び、サンダルばきの少年が道案内してくれました。

 その滝はポカラのペワ湖から1時間程度あるいた場所で地中に飲み込まれていました。誤って落ちてしまったら、どこまで地下の奥深く流されてしまうのだろうか。かなり怖い滝でした。その滝を見て、村上春樹の「世界の終わり・・・」の結末を思い出したのです。主人公は飛び込むか、やめるか逡巡します。結局、飛び込みません

 眼前の滝は人間を簡単に吸い込む激しい水流です。「ああ〜、これがあの結末かあ」となぜか納得したのでした。

地中に吸い込まれる滝の激流が吹っ切る

 それから30年後、原稿を書き始めました。せっかくなので、村上春樹が採用するパラレルワールドを真似て、ポカラの旅行記と小説の感想を併走してみました。書いていて楽しくなります。次々と書きたい衝動が湧き、長い長い文章が続きます。読み手のことはとうに忘れてしまい、次はこう書いてみようと浮かぶアイデアが湧き、額が熱くなります。久しぶりの知恵熱です。

 文字通り、自分の世界を楽しんだ原稿です。「こんな感じで行こうかな」。なんか、吹っ切れました。

 「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい」

 サイト制作を始めて良かったと思います。楽しいこと、寂しいことを毎日感じると、書きたいという衝動が湧いてきますから。

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