絵文字を使って手話の雰囲気を

手話は日本人のコミュニーケーションを豊かにする 顔の表情、伝えようという気持ちを鍛えます

 手話の勉強を始めました。初心者中の初心者です。昨年秋に手話のイロハを受講して今年5月から市民講座を受講しましたが、コロナ禍で休講が重なって現在はNHKの「みんなの手話」と初中級者向けのテキストを参考に自習しています。自習なんて高校生以来、新鮮です。

手話は新聞、テレビとは違うメディアの可能性を示す

 手話を学ぼうと思ったのは、新聞やテレビなどを通じてコミュニケーションの仕事を40年間続けた経験があったからです。取材したことを自分の視点を加えて文章にしたり、映像化したり。作家のような名文をめざしていませんし、才能がありません。わかりやすい文章を考え、読者の皆さんが記事の趣旨を理解していただけるように努力してきました。

 手話は自分が使っていた文字や映像を通した意味の伝達とは異なるコミュニケーションの考えが根底にあると推察していました。手の動きを多用しながら文字や数字を表現し、伝えたい内容をもっと抽象化した固まりとして表現しているのか。それを自分が伝えたい意図をどういうルール、文法、簡略化などをもとに表現しているのか。手話を支えている発想や構成力を知りたいと考えました。

 受講してまず気づいたのは、手話には語源があることです。言葉に語源がある。当たり前ですよね。しかし、手話を記号化していると理解していたので、語源にまで興味が至らず手の動きだけで伝えていると誤解していました。

ですから、手話の先生から自己紹介や出身地の表現を手や指の動きで説明してもらった時は、コロンブスの卵的な驚きでした。多くの人が当たり前のように使うしぐさに意味を込める。だから、ひとつの所作が多くの人にとって同じ意味を持ちやすい。その一つひとつの意味を込めて所作を積み上げて、手や腕による文章を作成する繰り返しに素直に驚きました。普段意識はしていませんが、一つのことを体の動作で伝えていることが手話として表現されている。それが言語として共有化され、意思疎通できる道筋が生まれる。手話に限らず、意味を伝えるコミュニケーションは見えるもの、聞こえるもの、感じるもの全てを使って初めて成立するものなのだと思い知りました。

英会話の勉強を思い出しました。英語の単語を覚えてつなぐとなんとか英会話になりますが、相手と自然な会話をするためには、言葉だけでなく顔や所作など体中を使って伝える時があります。もちろん英文法など基本を習得しなければいけませんが、それだけではようやくスタートラインに立ったということなのでしょうか。海外旅行すると、私の英語力ではボディランゲージが一番大事だと思い知ります。

手話も英語の文法を覚えるように手や指の所作を記号として覚えて行かなければいけないと思い込んでいました。しかし、講座の先生の説明、とりわけ語源を確認しながら覚えていくと、手話の所作を含めて忘れることが少なくなっていきます。手話は記号だけでなく「伝えたい」という思いがあるからこそ生まれた所作なのだと気づき、目の前にあるハードルが次第に低い位置に下がってきた感じを受けました。でも、先生から語源などのヒントを教えてもらわないと参考書に示されている手話は記号にしか見えません。覚えるのが難しいんです。

先生からは手話の動作を止めないで流れを大事にするようにとも注意されています。一連の動きがそれぞれの意味をもたせているので、同じような所作でも異なる意味を持つ手話があります。日本語でも英語でも仏語でも同じ発音で違う意味の単語はいくらでもありますから。言葉って根っこはみんな同じなんですね。私にとっては当たり前のことに何度も驚くのが手話講座です。

最も驚いたのは顔の表情や口の動きを大きく動かす意識が欠かせないことです。手話は手や指の所作を覚えれば意思疎通できるようになると考えていましたが、顔や口の動き(唇の動きというのが正解かも)も大きな役割を果たしていると教えてもらいました。講座では手話の所作を覚えることにばかり集中するので顔や口の所作を忘れてしまいがちですが、先生から動きを示す腕、手、指の位置に加え口の動きにも気をつけるようにアドバイスを受けます。手話に加えて口や唇の動きも見ながらお互いを理解し合うそうです。

 このアドバイスは手話のコミュケーションだけのことではありません。日本人は真顔で話すことが当たり前ですが、外国人の豊かな表情が羨ましいと思う場面は多々あります。日本は顔の表情を豊かにするトレーレニングする場が少ないんですね、きっと。しかし手話は日本人、というか私が最も不足している顔の表情と口の動きを忘れてしまう習性を修正してくれます。日本人は喜怒哀楽を抑えるのが美学となっていますが、東京五輪を見ていると10代の若者たちの率直な感情表現が素直な感動を湧き起こしています。小さい頃から口を開いて話しなさいと言われている私には羨ましいぐらいです。

 改めてですが手話を解説する資格も実力もありません。誤解している点も多々あると思います。ただ、わずか数ヶ月間、手話に接しただけでこんなに原稿を書けるぐらいの感動がありました。まずは手話を勉強すれば顔の表情を豊かになることを知りました。手話を覚えながら、鏡やガラス窓を見る自分がいます。

◆手話を学ぶ過程でまだまだ新鮮な驚きが続きます。手話を多くの人に知って欲しいですね。目標は小中学校の義務教育の課程として組み込まれることかな。突飛な提案と思うかもしれません。ちなみにニュージランドは2006年に手話を公用語に指定していますよ。

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