奉燈(キリコ)、御陣乗太鼓 能登から湧き出る郷土・家族を愛する力
能登の思い出は数多くありますが、夏のお祭り「キリコ」はとりわけ鮮明です。丸太で組み上げた大きな灯籠を御神輿のように若者らが担ぎ、練り歩きます。夜はほのかな灯りが幻想的な光を放ち、「イヤサカヤッサイ、サカヤッサイ」の掛け声とともに空中に舞い上がります。華やかさと迫力、そして郷土と家族への愛を感じるお祭りにいつも感動します。
掛け声と共に奉燈が上へ
たびたび訪れたのは七尾市の石崎奉燈祭り。8月、和倉温泉に宿を予約し、夕方から奉燈(キリコ)が集合する広場に向かいます。通りに面した家々は玄関や縁側が開放され、ご馳走とお酒がずらりと並んでいます。お祭りの日は誰でもお邪魔して、ご馳走をいただくことができます。といっても、「お邪魔します」と家に上がるほどの度胸はありません。それでも、奉燈祭りの雰囲気は体感したい。宿泊先のスタッフさんと一緒に歩き回り、親しい方の自宅を紹介され、お宅へ上がることにしました。
目の前には、七尾湾、富山湾の海産物が溢れるほど山盛りになっています。どれもおいしいそう、というかおいしいものばかり。珍味で知られる「くちこ」もお皿にいっぱい。くちこは、ナマコの生殖巣を軽く塩辛にしたもの、乾燥させた干しくちこがありますが、どちらも美味。独特の味と香りは、日本酒との相性が抜群。でも、大変高価です。我慢しようと思っても、唾が勝手に出てきます。知らない間に手が動き、くちこは舌の上へ。お酒をグイ。うまい。出る言葉はこれだけ。
担ぎ手は妻や恋人が作る肩当てに
酔うのはまだ早い。キリコが集合した広場を望める2階の窓から顔を突き出して眺めます。奉燈(キリコ)は高さ15m、幅3m、重さは2tもあるそうです。100人の氏子に担がれて、練り歩きますが、キリコを担ぐ丸太には座布団のようなものがいくつも縄でがっちりと縛られています。担ぎ手の奥さん、あるいは恋人が作ったもので、愛情たっぷりの肩当てからエネルギーをもらいながら、練り歩くそうです。とても格好良い!!。
キリコは「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサー」と威勢のよい掛け声とともに、上方へ放り上げられ、宙を舞います。観客は思わず「ホゥ」とため息。宙を舞ったキリコは大きく揺れながら氏子の肩にドン。愛情たっぷりの肩当てで痛みなどは感じないのでしょう。この繰り返しが続き、興奮の渦はどんどん広がり、観客も陶酔。
隣で一緒に窓から眺めていた和倉温泉の有名旅館のだんなさんが「このお祭りでお金を儲ける人はだれもいないんですよ。素晴らしいお祭りにするのに一生懸命なんです」とぽつりと漏らしたのが忘れられません。
奉燈は七尾市や能都町など能登地方の各地で開催され、能登を代表する伝統文化のひとつです。祭の起源は江戸時代、疫病が流行したときに病気を治した大きな蜂を神様の使いとして感謝し、キリコを作って練り歩いたことが始まりだそうです。キリコや神輿が激しく揺れ、暴れ回る風景は「灯(あか)り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~」として日本遺産に認定されています。
能登の土を踏みしめ、生命力を湧き出す
「能登はやさしや土までも」と表現されますが、奉燈はじめ各地で継承される祭りや伝統文化はいずれも土の香り、人間の生命力を謳歌するエネルギーを感じさせてくれます。
例えば、大好きな輪島市の御陣乗太鼓。キリコと違い、5人ほどの演者が太鼓を叩きながら、静寂から次第に霊気と精気を発散させ、人間とは思えない迫力のうなり声を上げます。太鼓の音と声だけが響き渡りますが、醸し出す緊張感に観客は飲み込まれます。由来は上杉謙信の軍に攻められた戦国時代まで遡り、武器を持たない輪島の人々が樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら夜襲をかけ、退散させたそうです。御陣乗太鼓を見るたびに、その迫力と張り詰めた空気から兵が退散した逸話に納得していました。
能登は大地震で甚大な被害を被りました。しかし、これまでも、そしてこれからも能登の郷土、家族への愛情から湧き出す力が絶えるはずがありません。
◆写真;七尾市の石崎奉燈祭りは日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」 活性化協議会のホームページから、御陣乗太鼓は公式サイトからそれぞれ引用しました。