水木さんのラバウル愛が教える地方創生の源 ふるさとへの自信が支える自由奔放さ

水木しげる記念館のお目当ては木彫

  水木しげる記念館に行ってきました。2回目です。鳥取県のJR境港駅から記念館に向かう通りは「水木しげるロード」。たくさんの彫像とお土産屋さんが集まり、とても賑やかで様変わりしていましたが、記念館そのものはさほど変わりはなく、ホッとしました。お目当ては水木しげるさんが収集したお面や木彫です。

 水木さんは太平洋戦争で召集され、パプア・ニューギニアのラバウルに派遣されました。配属された部隊に玉砕命令が下されるなど文字通り細い命の糸をたぐり寄せ、片腕を失う大怪我をしながらも奇跡的に生き残りました。日本に復員するまでは現地の住民と家族同様に暮らし、帰国をやめようかと考えほどパプア・ニューギニアを愛した人です。

ふるさとの妖怪とラバウルの木彫は重なるはず

 ふるさとの境港で幼い頃から妖怪の魅了されていた水木さんです。パプア・ニューギニアの霊気に取り憑かれるのは当然です。記念館に展示する作品は一見、奇怪とみえるお面や木彫ですが、どれも人間味があふれています。日本からはるかに遠い赤道直下のパプア・ニューギニアですが、お面の表情は日本の天狗や秋田県男鹿半島のナマハゲとそっくり。

 愛想たっぷりの大きな目玉、ツンと上を見ているようだけれど視線はちゃんと相手を見詰めている目。人間の心のうちが豊かな表情で彫り出されています。通勤途上の電車や駅、あるいは知人や近所を見渡してみてください。きっと、そっくりな人がいるはずです。

 私は2度のラバウル訪問も含めてパプア・ニューギニアには何度も取材で回りました。ラバウルは連合司令部もあった戦時中の最重要拠点でした。ラバウルを訪れ、山本五十六司令官が会議や食事をしたという当時の司令部、撃墜された戦闘機、洞窟に隠されたままの船舶など残された戦跡を辿りましたが、当地の博物館に展示されたお面や木彫も見逃すわけにはいきませんでした。

 もともとお面や木彫が大好きです。高村光太郎や平櫛田中のような写実的な作品も好きですが、北海道・東北で育ったせいか、荒々しい手作り感たっぷりの木彫が大好きです。絵画もピカソやカンディスンキーのような作風に目が行きますから、人間の魂をそのままぶつけてくるパプア・ニューギニアやアフリカの木彫にハマるのは当然かもしれません。もちろん、私もパプア・ニューギニアやソロモン諸島など立ち寄った先でお面、木彫を購入しました。

魅力は開けっぴろげな人間性

 魅力の一つは開けっぴろげな人間性です。過去、今、、未来それぞれの思いが木彫の表情や削り方に現れ、心に直接響いてきます。水木しげるさんが収集したお面を見ていると、ご本人の笑い顔と重なります。パプア・ニューギニアで地獄絵図を見たはずなのに、戦地で現地の人々と家族同様の関係になり、帰国後も愛し続けました。それはふるさとの境港と重なります。

 鬼太郎はじめ誰も真似できない独創的な「水木ワールド」は、境港、そしてパプア・ニューギニアから生まれたふるさとへの愛情が創作力の源泉だったのではないかと思えてきました。

 日本人にとって、パプア・ニューギニアは過酷な自然です。高温・高湿度にマラリアなど恐ろしい病気が待ち構えています。戦時中、戦闘で死傷するよりも餓死や病気で死傷した日本兵が上回ったそうです。そのパプア・ニューギニアで生活するためには、自然と闘うことは無意味です。自然と共に生き、与えてくれる食物をいただき、時には非情な自然環境に襲われますが、すべて受けれ入れて耐えるのです。

好きなことをやる、それが独創的に

 水木しげるさんは現地の人々と一緒に生活しながら、自らの思うまま生きていくことに自信を持ったはずです。

「好きなことだけをやりなさい、好きなことを一生懸命にやりなさい」

「やりがいや充実感は、結局は自分が好きなことの中にしか見つからない」

「自分の好きなことをやる。そのために人は生まれてきたのだ」

 いずれも水木さんの言葉です。水木さんが創作したキャラクターがふるさと境港、鳥取県の観光を支えています。水木さんに続く次の才能はいつ登場するのでしょうか。

 パプア・ニューギニアのお面や木彫と向かい合ってみてください。きっとヒントを教えてくれます。

 

◆ 写真は水木しげる記念館の展示品の中、カメラOKの対象を撮影しました。最後は私物の木彫です。

 

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