65歳から始めたメディアサイト12🎸Joe Passの気持ちがちょっとだけ・・ソロがやっぱり好き
「Joe Pass(ジョー・パス)の心境ってこんな感じだったのかな」。サイトの原稿を書いていると、こんな思いが浮かぶ瞬間があります。
「Virtuoso」に偶然出会う
出会いは偶然。大学入試に失敗して東京で浪人中。暇な時間はたっぷりあります。いつものレコード店に向かいLPの束をパラパラめくっていたら、なんか格好良いジャケットを見つけました。表紙は白黒で、ギターを抱えた男性が手首をおでこに当てています。演奏を終えて汗を拭いているのかな?。いい雰囲気だ。アルバム名は「Virtuoso」。
店で試聴したら、メリハリの効いたギターの音色、演奏は縦横無尽に躍動するが、曲の主題から離れない。鼓膜をグッと握られた感じ。弦1本1本が震えているのが見えます。最初の曲は「Night & Day」。ソロギターですから誰も歌っていませんが、「ナイトアンデェ〜ェ」と女性歌手がコブシを効かせて歌う姿が目の前に。お金が全く無い当時、LPを買うにはそれなりの勇気が必要です。でも、ここで買わないとかならず後悔すると思いました。
麻薬中毒を乗り越え、再び名演
アルバムのライナーノーツを書いた油井正一さんによると、エラ・フィッツジェラルドの伴奏を務め、オスカー・ピーターソンとも一緒に演奏しています。2人とも好きなミュージシャンでしたが、それよりもジョー・パスが麻薬中毒を乗り越え、素晴らしい演奏を再び取り戻したストーリーが胸に響きます。浪人中の自分自身と強引に重ね合わせ、「俺もなんとかなるのかもしれないな」と自分の未来にわずかな希望を見出しこともあります。
以来、多くギタリストのLPを買い、聴きましたが、「だれが好き?」と訊かれたら「ジョー・パス」。即答です。
来日コンサートにも行きました。一度はオスカー・ピーターソンのメンバーとして来日し、もう一度はソロで。あともう1回はジョー・パス自らのグループライブかな。情けないことに記憶が定かじゃない。
オスカー・ピーターソンとの共演はがっかり
オスカー・ピーターソンとジョー・パスの共演はしっかり体感したいと考え、高いチケット席を購入しました。でも、正直ちょっとがっかり。オスカー・ピーターソンが気の向くまま、奔放にピアノ演奏するのは良いのですが、そばにいるジョー・パスがとても気を遣っているのがわかります。自らの演奏を楽しむ自由さ、遊びが伝わってきません。良い人だとわかります。相手の思いを汲み取り、より良い演奏にしようと一生懸命になる様子が見えます。
ジャズは互いの個性を活かして演奏の即興性を楽しむのですから、共演者に対する気遣いは欠かせません。でも、神経を使い過ぎて自らの魅力を失ったら元も子もない。キョロキョロするジョー・パスがかわいそうで、かわいそうで。申し訳ない話ですが、これをきっかけにオスカー・ピーターソンの演奏が独善的に聴こえ始め、好き度合いがかなり低下しています。
ソロは縦横無尽、自由奔放
ソロ・コンサートは東京・原宿の小さなレストランのような場所でした。目の前に立つジョー・パスは革のジャケットにシルクのシャツ、革のネクタイ。すべて紫紺のような色で統一してます。痺れました。絶対に真似しようと決め、ジャケットとシャツは購入。気に入った革ネクタイはまだ見つけられません。
演奏が始まりました。ところが、ある一席だけ客同士の会話が続いています。演奏を聴きに来たはずなのに話が止まりません。「誰かが止めなきゃ」とその場のほとんどの人が考えたはずですが、誰かが声をかけたらジョー・パスのせっかくの名演が台無しに。もったいない。コンサートの主催関係者のだれか注意して・・・。
演奏がある程度進んだ時でした。ジョー・パスが演奏を止めてポツリと話しました。「そろそろボードミーティングは終わるか、よその場所でやったら」。言われた本人らは何を話されたかは理解できないようでしたが、ようやく周囲の空気を察しておしゃべりは止まります。
それからはいつものジョー・パス。自由奔放を楽しみながら、押さえるところはピタッと押さえる巧みな弦捌き、曲の主題からつかず離れず。高揚する演奏は音域を広げ、彼ならではの遊びと発想の素晴らしさに酔います。狭いコンサートの空間は一気に変わりました。「やっぱり、ソロの人なんだ」。痛感し、そしてうれしかった。
サイトの原稿もソロが楽しい
さてここからは乱暴な議論です。自らとジョー・パス重ね合わせるのはとても無理筋。承知しています。ただ、サイトの掲載する原稿を書いていると、「これがソロ演奏なんだなあ」と気づかされることがたびたびあります。そして新聞社の記者として原稿を書いている気分と全く違う高揚感を覚えます。自分自身に対する責任と自由というのでしょうか。自分が納得することを最優先できるからでしょうか。
新聞社時代、記事の原稿はチームで取材したネタを基にまとめ、書く場合が多い。誤解されると困るのであえて明記しますが、新聞社それぞれが掲げる「社論」に縛られるという意味ではありません。取材結果に忠実に書くことが基本ですから。社論は社論、論説委員に任せます。
多くの記者が取材した情報を基に記事化する場合、自分自身が取材していないネタと見方を取り込むことになります。それぞれの記者が一生懸命に取ってきた貴重なネタです。大事にするのは当然。情報の精度を確認する過程を積み重ねて真実に迫り、読者のみなさんが「この記事を読んで新聞代の元は取れた」と納得してもらえる水準に仕上げます。
新聞社にはビッグバンドの迫力があるけれど
取材チームは数人の場合もありますし、10人程度に及ぶ場合もあります。ジャズバンドでいえばトリオかカルテェット、それともビッグバンドと一緒に演奏するイメージですか。それはそれで醍醐味があります。
しかし、サイトの原稿を書く場合はソロがやはり一番楽しい。ビッグバンドと共演する迫力で大きなステージに立つことは不可能でも、自分なりの即興、インプロビゼーションを楽しみ、幸運にも読者1人と共有できればラッキー。サイトの原稿本数が増えるにつれて、確信になっていきます。
virtuosoは永遠に無理だけど
「virtuoso」には永遠になれないけれど、ソロの自由を楽しもう。65歳から始めたメディアサイトの醍醐味です。