核実験反対の先頭に立つ武村正義氏

南太平洋 3 タヒチのヒバクシャ、北半球の横暴が「南の島に雪が降る」に

ヒバクシャの語りで満員の会場は静まり返る

一人の女性が壇上にのぼりました。それまで日本を含め世界各国から訪れた政治家らが同じ壇上に次々と立ち、フランス政府の核実験に対する反対と抗議を表明していましたが話し声が絶えず、ざわついた雰囲気が続いていました。それがピタリと沈黙に変わった瞬間でした。壇上に立つのは広島県から訪れた被爆者の代表です。女性は原爆を投下された直後の悲惨な広島の状況を語り始めました。日本語です。フランス語が公用語のタヒチ島で理解できる人は少ないはずです。発言の区切りごとに同時通訳されたこともあり、会場の全員が一語も聞き逃さないという緊張感に包まれました。被爆者の女性の語りはゆっくりですが一語一語思いを込め、体すべてを使って被爆直後を再現します。会場の空気が引き締まるのが分かります。被爆者の女性の一つの言葉、一つの呼吸から発せられる被爆者の怒りと無念さが会場内に充満しました。

1995年9月初め、タヒチ・パペーテ。数日前から日本はじめオーストラリア、ニュージーランドなどの政治家や環境保護団体、世界各国の新聞・テレビの記者・スタッフらが続々と集まってきました。日本からは当時の新党さきがけ代表で蔵相を務める武村正義さんら与野党の国会議員22人が訪れ、広島県からも原爆被爆者の方が参加していました。日中は核実験再開に対する抗議活動がパペーテ市内を中心にあちこちで開催されましたが、仕事や家事から手を離せない島民の多くが参加できるようにと、夕食後の夜のパペーテ郊外で体育館のような大きな会場で島民が中心の集会が開催されたのです。家族連れの島民が大半を占めたため抗議集会特有の熱気よりは、みんなでイベントを楽しもうという空気すら感じられました。また、政治家らが話すスピーチはある程度予想された内容でもあったので、横目で見ながら儀礼的に受け流している人も。しかし、広島の被爆者の女性が発する言葉は島民の胸に直接響いたようです。核実験と原子爆弾の被爆がタヒチの未来として二重映しになったのかもしれません。

ここで、反対・抗議集会の動きなどを時系列で簡単に確認してみます。

パペーテの街中でも緊張感が広がる

パペーテの街中でも緊張感が広がる

1995年9月1日、仏領ポリネシアの独立運動グループやグリーンピースなどが仏の核実験再開を阻止するため、船舶やゴムボートで核実験場のムルロ􏰏􏰑􏰃ア環礁に突入しました。仏軍は乗船して いたタヒチ独立運動指導者のオスカー・テマル氏ら約60人全員の身柄を拘束しました。

会見するオスカー・テマル氏

会見するオスカー・テマル氏

テマル氏はパペーテに隣接するファーア市の市長で仏領ポリネシア独立のカリスマ的なリーダーです。何度もお話ししましたが、気楽に意見交換できる懐の深さを持つ人物です。グリーンピースのゴムボートには確か創設者のメンバーが乗っていたはずです。メンバーは仏軍から解放された後に記者会見しましたが、仏軍の監視の網を逃れるためにムルロア環礁近くまでゴムボートに何日も波間に隠れながら侵入したとのエピソードを披露していました。グリーンピースとは捕鯨問題や運営資金に関する憶測などで何度も取材し、船舶への暴力事件などで決して良い印象を持っていませんでしたが、あのムルロア環礁にゴムボートで突入したことについては正直、「すげえ!」と感心したものです。

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