南太平洋 5 ブーゲンビル島でSDGsを体感する 国連抜きの初のPKOを見る

 今回からパプア・ニューギニアの話を始めます。再び1994年、1995年ごろのエピソードばかりです。現在とはだいぶ違うと思いますが、こんな空気感の時が流れていたのだと受け止めてください。ただSDGsブームに沸く現在からみると、パプア・ニューギニアの人々、生活から教えられることが多く、文明と破壊の理解をどこかで勘違いしてしまったことに気付かされます。

 始まりはパプア・ニューギニア最西部のブーゲンビル島です。ソロモン諸島のすぐそばに位置します。皆さんはブーゲンビル島といえばどんなことを思い浮かべますか。最初に浮かぶのが熱帯の花ブーゲンビリアですか。私はこの島が原産地かと思ったら、島の名前の由来になったフランスの探検家ブーガンヴィルまでは正しいのですが、花は1768年にブラジルでブーガンヴィルが発見したそうです。

ブーゲンビルという響きにさまざまな思いが

私の世代以上なら、連合艦隊の山本五十六司令長官が搭乗していた一式陸攻が米軍のP-38に撃墜され、山本司令長官が亡くなった島として覚えている方が多いはずです。この島へ行くにはパプア・ニューギニアの首都ポートモレスビーに入り、それから西のラバウルへ飛びます。そしてブーゲンビル島へ向かいます。ラバウル、ブーゲンビルという名を聞き、実際にその地を訪れると第二次世界大戦が歴史書から飛び出し、目の前の風景として現れます。身も心も引き締まったのをよく覚えています。

南太平洋諸国によるPKO 軍

ブーゲンビル島を訪れたのは、独立運動を巡って内戦状態にある島の治安を回復する国際的軍事協力を取材するためでした。確か1994年後半です。当時は国連主導のPKO(平和維持活動)が内戦が続く国や地域での治安回復に努めていました。しかし、国連が介入しても地域事情がよくわかっていない米英などの大国が介入する結果を招くだけで、混乱が収束しないと言われていました。そこでオースラリアとニュージーランドはフィージーなど南太平洋の周辺島嶼国が参加する国連抜きの地域PKOを編成し、ブーゲンビル島の治安を回復しようと考えたのです。表現が適切ではありませんが内乱の収束と治安回復への実験です。

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