トニー・ベネット 頂点を極めた後も、新たな才能とコラボで歌の世界を広げ続ける
初めてサンフランシスコに行った時、どうしても有名なゴールデン・ゲート・ブリッジを見たくて、夜10時ごろタクシーで向かいました。翌朝、日本へ帰国する飛行機が待っています。今夜を逃したら当分無理。表情が必死だったのでしょう。タクシー運転手は「こんな時間に行っても、真っ暗で何も見えないよ」とビビっています。橋から飛び降りるのではないかと心配したみたいです。
サンフランシスコのタクシーで歌う
彼の誤解にすぐ気づき「自殺はしないから安心して。日本でも有名な歌を思い出し、明日の帰国前にどうしても訪れたかっただけ」と笑いながら説明し、車内で明るく歌ってみせました。
「I left my heart in San Francisco〜・・・」。トニー・ベネットが歌う世界的な大ヒット「霧のサンフランシスコ」です。
小学生の頃からビートルズやクリームなど英国ロックにハマっていましたが、米国のポピュラーソングも大好きでした。当時、アンディ・ウイリアムズ・ショーなど米国のヒットソングを紹介するテレビ番組がいくつも放送されており、「ムーン・リバー」「霧のサンフランシスコ」「オンリー・ユー」などは私にとって日本の歌謡曲と同じ身近な歌のひとつ。
トニー・ベネットがとりわけ好きだったわけではありません。柔らかい声質でていねいに歌う曲はどれも気持ちがよく、英語の発音も聞き取れやすく「アメリカって、なんか豊かで幸せなところなんだなあ〜」と思わせてくれます。「奥様は魔女」「名犬ラッシー」「パパ大好き」など米国の人気テレビドラマとシンクロするかのように米国を夢の国に仕立ててくれました。
エイミー・ワインハウスとのデュエットに感動
トニー・ベネットが輝いて見えたのは最近です。エイミー・ワインハウスとのデュエットを聴いた時でした。27歳で急死したエイミー・ワインハウスの人生を追ったドキュメント映画を視聴していたら、トニー・ベネットと一緒に歌う場面が出てきました。
トニー・ベネットは若い才能ある歌手と一緒に歌いたいとエイミー・ワインハウスを指名し、包み込むかのようにやさしく息を合わせ、デュエットを歌い上げます。トニー・ベネットを尊敬していたエイミー・ワインハウスも、酒と麻薬などで荒れた生活を曝け出す映画に登場する同じ人物と思えないほど、素直に楽しげに何度も歌い込んでいきます。
その曲名は「ボディ・アンド・ソウル」。2011年3月23日にロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音されたのですが、ちょうど4ヶ月後の7月23日にエイミー・ワインハウスは急死します。彼女の最後の収録曲だったそうです。歌詞の内容を考えたら、エイミーにこれからも活躍してと励ましていたのでしょうか。
トニー・ベネットはジャズ・ポップスの頂点を極めた超一流の歌手です。その彼が自身の歌の世界とは縁遠いと思われるエイミー・ワインハウスの歌唱力に魅せられ、その才能を吸収するかのように収録を繰り返し、デュエット曲を極めていく姿に感動しました。年齢は確か84歳。飽きることのない、尽きることのない歌への思い。素晴らしい。
多くの才能とコラボし、歌を極め続ける
トニー・ベネットは他の歌手らとともに2011年にアルバム「デュエッツⅡ」を発表しています。レディ・ガガ、ノラ・ジョーンズ、ナタリー・コールら大好きな歌手のなかに、カントリーの大御所ウイリー・ネルソンとも一緒に歌っています。ウイリー・ネルソンはいつもながら、いい味出しています。
アルバムで最も気に入っているのは、アレサ・フランクリンとのデュエット。曲名は「How do you keep the music playing」。アレサ・フランクリンの天才的な節回しをさらに活かすようにトニー・ベネットがふわっと重なり、個性がぶつかり合いながら共鳴します。ふたりが歌の最後まで輝き、変わらないのが素晴らしい。
95歳でレディ・ガガとコンサート
トニー・ベネットは2021年、95歳の誕生日のお祝いとしてレディ・ガガと共にニューヨークのラジオシティの舞台に立ち、コンサートを開きます。コンサートの名は「One Last Time」。ラジオシティは1932年に開業したコンサートホール。70年以上のキャリアの最後を飾るにふさわしい舞台です。トニー・ベネットは米国の2016年にアルツハイマー病を公表していました。それでも舞台に登場し、最後まで歌い上げたそうです。
2023年7月21日、96歳で亡くなりました。これからも「I left my heart in・・・」に変わりはありません。