大塚家具が消える 家具はおまけ、使い勝手を売るニトリ ディスラプターの世代交代
大塚家具のその後は皆さんがご存知の通りです。至るところに「大塚家具」の名前が目に付く大量の広告展開を加速する一方で、高級家具を求める顧客層を想定した接客マニュアルを武器に全国展開していきます。扱う家具も高級輸入品を増やし、大塚家具そのものがブランドとして販売力と威力を発揮し、旧態依然だった大手家具店を駆逐していきます。
流通業界は暗黒大陸と呼ばれていましたが、1980年代でもまだ流通の実相が不透明でした。家具も原材料、輸送などのコスト構造が不明で、その価格設定も消費者にはよく理解できません。
大塚家具の販売方法は大量の製品を見せながら、ていねいに説明を加えて「この家具の価格は適切かどうか」を納得してもらって購入を決定するビジネスモデルを構築しました。当時の家具流通にとって大塚家具はビジネスモデルの破壊者でした。経営戦略は高く評価されるべきです。ちょうど日本はバブル経済に突入する直前です。イタリアなどから高級輸入家具店も日本へ進出し、高級家具の市場は拡大していました。
今度はイケア、ニトリに破壊される側に
ただ、家具市場は大きく変わっていきます。スウェーデンのイケアが大型倉庫のような店舗を開設して、より多くの家具製品を比較検討できるマーケティングを日本で本腰を入れます。しかも、家具の品質は丈夫、デザインのみならず「こんな家具が欲しかった」という感動をもたらす使い勝手の良さが決めてでした。家具を売るというよりは、客の胸の内にあるニーズを読み取るサービス業に変貌しているかのようでした。
そこに現れたのがニトリです。歌手になる夢を諦めて北海道の家具店を継承した似鳥昭雄氏は全国チェーンに向けて拡大路線を突っ走ります。もう10年以上も前ですが、当時の似鳥社長のお話を聞く機会が多い立場にありました。真実と冗談がごちゃごちゃに混ざり合う独特の話し方でニトリの経営哲学を語ります。当時は1ドル=90円を挟む円高です。
海外の提携先の工場で生産した家具を輸入して割安な製品価格で販売することで、他の家具チェーンとの価格競争力を圧倒し始めていました。似鳥社長が怖いのは笑っている時です。笑いながら、新製品やマーケティングの不備を指摘します。全国的な店舗展開に欠かせない広告戦略はなおさらでした。記者会見で「彼の広告マーケティングは信頼している」と話してから数ヶ月も経たない間に更迭された幹部もいました。
ニトリは「お、ねだん以上」をキャッチに広告を展開しています。大塚家具など大手に比べて後発の新興チェーンは家具の品質そのもので勝負はできません。価格が安いだけでもだめです。ホームセンターなどと競合しては利益が出ません。
価格競争力と収益率ともに手にするためには、イケアが開拓した市場、つまりお客が痒いところに手が届く商品力を掘り下げることでした。衣服で言えばファストファッション「ユニクロ」と同じビジネスモデルです。当然ですが、この分野はニトリだけが狙っているわけではありません。