日本から発信するイタリア料理(3) 日本の和素材によるイタリア郷土・地方料理
日本から発信するイタリア料理を考えてみました(3) 最終回
イタリア食文化文筆・翻訳家 中村浩子
この連載第1回目 「日本から世界に発信するイタリア料理を考えてみました。(1) » From to ZERO (from-to-zero.com) 」で、「イタリア郷土・地方料理」と「クリエイティブ・イタリアン」というカテゴリーを挙げた。その2つのカテゴリーを合わせもつのが、日本の和素材を使ったイタリア郷土・地方料理である。
北から南まで日本全国の食材をとり入れたイタリア料理はいまや数多い。だが、イタリアの食文化への理解と敬意が薄いと感じる料理も少なくない。俳句にたとえるなら、季語(=季節の食材)はあるものの、それと組み合わせる五音や七音(=他の食材)が字余りや突拍子すぎて全体として響き合っておらず、驚きはあるものの、融合による新しい文化(=食文化)として一句(=一皿)がもたらす感動が薄いのだ。
連載第2回目「 日本から発信するイタリア料理を考えてみました(2) » From to ZERO (from-to-zero.com) 」に登場いただいた銀座「FARO」の能田耕太郎エグゼクティブシェフも、「小手先でイタリア料理をつくってはいけないと気づいたのは、イタリア滞在10年目くらいでした。イタリアの伝統も地方の文化も知らず、曲げてはいけないところを曲げてしまっていた」と反省をこめて語っていた。日本の食材を使ってイタリア料理をつくる場合も、同じことが言えるのではないだろうか。
それではイタリア人シェフが日本の食材を使う場合は、イタリア料理から大きく逸脱しているのだろうか。たとえば、イタリア人シェフが率いる日本のイタリアンレストランとして2011年に初めてミシュラン一つ星を獲得し、10年連続で星を保有している「ブルガリ イル・リストランテ ルカ・ファンティン」。ルカ・ファンティン・エグゼクティブシェフは、みずからの料理を「日本の食材を使って、イタリアを旅する料理」という。
日本の食材でイタリアの旅を味わう
同シェフは三ツ星日本料理店「龍吟」で3か月研修したこともあり、ふきのとうや菜の花など日本の特徴的な苦味もメニューに組み入れる。「イタリア・コンテンポラリー(現代)料理」といいながら、そこにはイタリア伝統料理、郷土・地方料理の一端が見え隠れする。当リストランテは2021年発表の「The World’s 50Best Restaurants(世界のベストレストラン50)」で73位にランキングされている。新型コロナウイルス禍もある程度収まり、インバウンド(外国人観光)客の日本入国が認められた今、多くの外国人客が再びめざすイタリア料理店のひとつとなるだろう。
「アルヴァ」の「ホウボウと桜海老のブロデット」イタリア半島の東側、アドリア海に面した町々で食べられる魚介のスープ
日本人シェフの手による、日本から発信するイタリア料理の好例は「アマン東京」(千代田区大手町)のイタリアンレストラン「アルヴァ」だろう。アマン東京は世界にラグジュアリーリゾートを展開する「アマン」で唯一の都市型ホテル。ホテルの顧客は、新型コロナウイルス禍前は8割が外国人客だった。インバンウド客が東京へ戻った時、「アルヴァ」も賑わうはずだ。料理長の平木正和さんは17年のイタリア滞在歴がある。イタリア北部から南部まで9ヵ所以上の修業・勤務をへて、ヴェネツィアの5つ星ホテル「バウアーホテル」で総料理長をつとめた。そうした経験があるからこそ、日本の食材を使いながら、イタリア地方・郷土料理として巧みにまとめ上げ、新しい味を提示することができる。
銀座「FARO」の「イバラガニのマリネ」
実は、銀座「FARO」の能田エグゼクティブシェフも、「アルヴァ」の平木料理長も、グアルティエロ・マルケージが1996年に神戸に開いた「ビストロ・マルケージ」で料理人としてのスタートを切った。マルケージは1990~2000年代に「ヌオーヴァ・クチーナ(新イタリア料理)」を創り上げた巨匠シェフである。
当店に本国から送りこまれた料理人のなかには、現在、イタリア北部ピエモンテ州アルバのミシュラン三ツ星店(2021年の「世界のベストレストラン50」で18位)「ピアッツァ・ドゥオモ」のエンリコ・クリッパ・シェフがいた。
「就職が早くに決まらず、たまたま遅くに募集があって入れたのが『ビストロ・マルケージ』でした。自分はパスティッチェリア(菓子)の担当でしたが、マルケージ・シェフが来日したとき、僕がつくった菓子にひと言、『田舎くさい』といわれたのを覚えています」と平木さんは苦笑する。同店が数年後に閉店したのをきっかけに、そのとき料理長だったエンリコ・クリッパから声をかけられて、平木さんはイタリアに渡ることになる。