年末・阿佐ヶ谷の居酒屋 お馴染みさんと酔い、いつもの空気を味わう幸せ

「深夜食堂」のシリーズ最終回は、いつも大晦日の夜。店主の小林薫さんはじめ常連客、それぞれの放送回で鋭いスパイスを味わえる個性的なキャラの役者さんが集まります。吉本新喜劇と同様にそれぞれが背負っている型の役柄を演じますが、視聴しているこちらもそのお約束事を待ち構え、期待通りの演技を楽しみ、満足します。嗚呼、今年も終わり。こんな終わり方が好きです。

店のカウンターには客の個性が並ぶ

 私にとって阿佐ヶ谷は「深夜食堂」を体感できる舞台です。18歳の時に上京し、駅前の屋台「栃木屋」のオヤジにお酒の飲み方を教えてもらい50年。半世紀過ぎました。会社勤めを始めてから全国、時には海外を転々としましたが、年末は阿佐ヶ谷で泥酔しないとスッキリしません。もう屋台「栃木屋」もオヤジも駅前にはいませんが、私の酔眼には屋台の白熱灯で赤みを帯び、おでんの湯気で霞んで映る深夜の阿佐ヶ谷駅の風景がすぐに蘇ります。

 2023年の年末も、通い慣れた居酒屋に立ち寄りました。深夜食堂はストーリーを仕立てるため、客のキャラをそれぞれ過剰に脚色していると思うかもしれませんが、居酒屋のカウンター席に長年座っていると「ごく当たり前の風景」です。カウンターにはお酒と料理のほかに、お客それぞれの個性も一緒に酒の肴として並んでいる気がします。

 ほぼ毎日、開店と同時にカウンター席の左端に座り、無表情に注文を頼みながらもチラチラと女将の仕草に魅入るお客さん。毎週、決まった曜日、時間に訪れ、仕事の疲れをどっと吐き出すお客さんともよく会います。その方は中国語の専門家なのに退職後は時間通りに勤務できるマンションの清掃業務を選んでいるようで時折、漏らす愚痴にとっても共感できます。席に座った途端、ずっと機関銃のように話し続けるお客さんもいます。自身も居酒屋の女将をしていたましたが、お店でお会いした頃は家族の介護でお店は閉じているようです。

年末はやっぱり阿佐ヶ谷で酔わなきゃ

 でも、気持ちは今も店主のまま。料理のメニューを見ながら、仕入れ値などを念頭に「今日のホッキ貝は高かったでしょう」「このアジの棒寿司は、輝きもよくて素晴らしいね」とプロの目を捨て切れないようです。

 その日のお通しは「鼈甲スズキのせ山芋のととろ」。スズキをしっかりと漬けて鼈甲のような黒みに色付け、山芋をすりおろしたトトロに載せています。女将が大きなすり鉢に山芋を入れ、山椒の木を使ったすりこぎで擦っていたら、私の隣に座る元女将は「今時そんなに立派な山椒のすりこぎを持っている人いないよ」とツッコミを入れると、店の女将はすりこぎを使いながらすぐにボケで返します。「私が嫁に出た時に父がくれたの。でも、2年もしないで別れたから、すりこぎなんて全然使っていない。お店を開いてから、このすりこぎが頑張ってくれているのよ」と元女将に背中を向けながら、自虐的に話します。

 カウンター席に座っていた3人の男性客は苦笑いするフリをしますが、「離婚したから、この店が今ある。良かった」と喜んでいるのがその表情から一目でわかります。

一見、茶碗に見える逸品?

泥酔してどこまで遠くに行ったかを競う

 元女将は隣で日本酒のお燗を飲んでいる私にもツッコミを入れます。「この人は、早飲みなの。次々と飲んでいく。ほら見てごらん、この人だけ茶碗で飲んでいるよ」。確かに茶碗に見えますが、実は持参の漆器。一見、焼き物に見えるのですが、木地から漆塗りまで一人の作家が丁寧に仕上げた逸品と心の中で囁きながらも、「阿佐ヶ谷駅前の屋台でコップ酒を覚えたので、ガブリと飲まないと気が済まない。若い時から駆けつけ3杯の男と呼ばれたものです」と心の叫びとは全く違うボケをかまします。

 普段は「黙って飲む」を美徳とするのですが、年末のせいもあるのでしょう、山椒のすりこぎをきっかけに珍しくカウンターは盛り上がりました。泥酔してどこまで行ってしまったのかの競い合いが始まります。「気がついたら相模湖にいたよ」「私は東西線の東葉勝田台。一晩で2往復したことがある」「会社の同僚は朝の会議に出てこないので電話したら、『なぜか今、新潟県の上越にいるんですよ。昨夜、酔っ払って電車を乗り間違えたようです』と信じられないことを話していましたよ」。新潟出身の女将は「新潟までを結ぶ急行が走っているからね」と冷静に正解を答えていたのが笑えました。

「良いお年を」「また会いましょう」

 帰りの時は、どのお客にも女将とお客で「良いお年を。また来年お会いしましょう」と合唱。いつもの繰り返しとはいえ、いつもの空気を気持ちよくたっぷり吸い、味わう。年末の居酒屋はいつもと一味も二味も違う。それも年末の味わいです。

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