英国のTPP加盟に違和感 アジア太平洋を超える自由貿易圏は地政学的戦略で機能するのか
経済は今や、安全保障と一体化しており、経済安保という言葉が当たり前に使われています。その経済安保とコインの裏表の関係にある多国間・地域内の自由貿易圏も変質せざるをえません。本来は互いの強さと弱さを補完し、より大きな経済的な利益を捻り出すのが目的ですが、政治、経済両面から勢力拡大を狙った囲い込みに多用されています。APEC(アジア太平洋経済協力会議)はじめ長年、自由貿易圏構想を取材してきましたが、英国が環太平洋経済連携協定(TPP)に加盟することに、やはり違和感を覚えます。
TPPは欧州も圏域に
TPPの加盟11カ国は7月16日、ニュージーランドのオークランドで「TPP委員会」を開き、英国の加盟を承認しました。2018年にTPPが発効してから新規加盟は初めて。英国は24年中に手続きを進め、加盟する方向です。加盟国は11か国から12カ国と1カ国増えるだけですが、TPPの圏域は人口で5・1億人から5・8億人へ、GDPの合計額も世界全体の12%から15%まで拡大します。なりよりも、アジア太平洋地域から遠く離れた英国が参加することで環太平洋と銘打った自由貿易圏は地球の裏側の欧州にまで広がり、地球規模の圏域に広がる可能性を見せつけました。
15世紀に始まった大航海時代から資本主義の軌跡を振り返れば、ポルトガル、スペイン、英国と主役交代はありましたが、以来モノとカネが地球上を駆け巡っています。欧州の英国がアジア太平洋地域の貿易圏と一緒になったからといって、今さら驚くことではありません。
しかし、英国加盟で覚える違和感は、地域の自由貿易圏とはなぜ存在するのか。その役割とは何か。改めて本来の狙いに立ち返って問いただし、確認する必要があることを教えてくれます。
TPPは機能不全のWTOに代わる
世界貿易の守護神としてWTOが存在します。GATT(ガット)に代わる国際機関として1995年に発足し、現在は加盟164カ国を数えます。例えば中国。規制緩和や政策などが不整備で時期尚早との指摘を受けながらも、改革・開放を掲げた中国は2001年12月、正式加盟。途上国の代表を自負していたにもかかわらず、世界第2位の経済大国にまで浮上できたのはWTOの恩恵を存分に活用したからです。
しかし、今は機能不全と指摘されるばかり。意思決定が加盟国の全会一致という原則もあって、先進国と途上国などの対立を解消できず、自由貿易を阻む問題を解決できません。デジタルなど時代の変化に合わせた新たな貿易ルール作りも遅々として進んでいないのが実情です。
地域の自由貿易圏構想はガットやWTOで浮き彫りになった”欠点”を解消する目的もあって創設され、今や乱立気味。TPPは2005年、ニュージーランド、シンガポール、ブルネイ、チリの4カ国が合意した経済連携協定をもとに厳密な加盟条件を定め、関税や規制などの完全撤廃を視野に入れて加盟国に実践を求めます。2008年には日本や米国、オーストラリアなどが加盟交渉に加わり、途中米国が脱落するなど紆余曲折がありましたが、2018年に11カ国に。
当初から世界第2位の経済大国である中国を牽制する地政学的な狙いが指摘されていました。事実、中国を除いた自由貿易圏を形成することになりましたが、肝心の米国がトランプ大統領時代に離脱してしまい、環太平洋という枠組みを掲げながらも世界第1位と第2位の経済大国という大きなピースが抜け落ちたまま、推移しています。
中国を牽制する狙いも
アジア太平洋地域には、APEC(アジア太平洋経済協力会議)があります。1989年に環太平洋地域で初めて自由貿易構想の根幹として発足し、その後に枝葉が分かれるように地域内にいくつかの経済協定を生み出しました。APECを提唱したのはオーストラリアのホーク首相ですが、設立の準備期間から日本とオーストラリアが一体となって裏舞台を支えてきました。
当時、アジア太平洋地域では米国と日本が大きな存在感を発揮する一方、オーストラリア、中国、東南アジアなど先進国と経済発展途上国が入り混じっていました。いずれ世界経済を牽引する主要国・地域になるのは確実視されていたため、APECという枠組みで議論を深め、ともに成長する政策実行を創設の趣旨としました。毎年開催する首脳会議では参加する首脳は開催国の伝統衣装を着て、会議に臨みます。同じ地域の友人として確認し合い、アジア太平洋という地域を自覚・共有、アピールするのが目的です。
地政学的な視点で議論、実行するのが強み
TPPがAPECよりも自由貿易を徹底する目的で発足し、加盟国に厳密な審査と政策実行を求めるのも、アジア太平洋地域という地政学的な視点に立って地域の平和と安定した経済成長を保証する枠組みを担っているからです。
英国の加盟によってTPPの視野には欧州の経済安保も入ってきます。ロシアのウクライナ侵攻を契機に食料、エネルギーなどの世界需給が大きく変わり、当然ながら世界経済に大きな影響を与えています。そうなれば、TPPは本来の自由貿易圏としての機能を維持できるのでしょうか。すでに中国はじめウクライナなどの加盟が課題となっていますが、加盟実現に向けての議論・交渉は何度も行き詰まり、まるでWTOが直面している機能不全をTPPで再現することになるのではないでしょうか。
英国加盟で地政学的戦略が不明に?
英国のコンサルタント会社、アーンスト・アンド・ヤング(EY)が地政学的戦略についての重要性を説いています。「米中の緊張が高まり、多くの中堅国が発言力を強める中、世界は⼀極集中型から多極分散型への移⾏が進み、地政学的な環境は近年ますます不安定化しています」としながら、「グローバル化が進む中で世界貿易が比較的自由化されていた時代は終わりを告げました。それに伴い、グローバルな経営環境も⼤きく変わり、経営判断において地政学的問題を経済⾯より重視せざるを得ない場合が増えました」と説明します。
TPPやAPECはその地政学的な視点に立って経済成長、経済安保を維持、進化させるために存在しているのです。英国の加盟は、その趣旨を逸脱させてしまい、今向かうべきテーマの解決を遅らせてしまうのではないかと思えます。本来の趣旨である地政学的な視点と戦略は雲散霧消するのではないか心配です。