「三田評論」三田の慶應義塾をPRするのか、三田の視点から日本、世界を論じるのか
「三田評論」を改めて読み始めて3年か4年が過ぎました。父親が定期購読し始めた頃を加えれば、50年以上も経つでしょうか。振り返れば、長い付き合いです。父親は仕事で知り合った人間で「一番気に入ったのが慶應義塾出身だったから」との理由で3人の息子を慶應義塾大学へ就学させることに執念を燃やしました。結果、3人とも夢が叶いました。地方から東京へ子供を送り、学費もアパート代など生活費も仕送りする。たいへんな労苦です。学生の頃は父親に全く感謝していませんでしたが、すでに父親の歳を過ぎた今、感謝の念と反省するばかりです。
父親が残してくれた全集と三田評論
私は途中かなり脱線しましたが、慶應義塾へ入学。多くの良い先生と友人に出会い、とても幸運でした。改めて父親に感謝です。父親は地方都市で図書館以外には購入した履歴がないといわれた「福沢諭吉全集」と「小泉信三全集」を大事に読んでいました。私が譲り受け、今も形見として大事に守っているのも、父親に対するお礼です。
もうひとつありました。「三田評論」です。兄が入学した頃から定期購読していましたから、自宅にはかなりの冊数が本棚に並んでいました。読んだ後も定期的に日干しし、縁側でていねいに表紙などを拭いていた父親の背中を覚えています。私にとっては、内容そのものよりも三田評論という存在そのものが父親だったかもしれません。
塾長が替わると記事も変わる?
その三田評論を長年、読んでいて気になり始めたことがあります。視点です。毎号、いろいろな刺激を受けているのは感謝しているのですが、塾長が変わると編集方針も変更しています。私が大学にいた頃は石川忠雄先生でした。その後、鳥居泰彦、安西祐一郎、清家篤の3氏は同じ学部だったり、卒業後に取材でお会いしたりと接する機会がありました。その後の長谷山彰さん、伊藤公平さんは全然、知りません。
三田評論の編集方針は最終ページには編集委員の名前が連なっていますから、この方たちが決めているはずです。編集会議の議論など決定過程は全く知りませんが、この4年ぐらい気になるのは塾長の意向が反映していることです。
PR色が強い特集が目立った時も
顕著だったのは長谷山塾長時代でした。掲載記事の内容が次第に大学の活動などが主体になり、塾長の写真が掲載される記事も増え、会社の広報誌かと勘違いする号もありました。
長谷山塾長が選ばれた2017年4月の塾長選はメディアで話題になりました。塾長選は慶応義塾大学の教職員の投票では細田衛士教授がトップの得票。しかし、塾長に選ばれたのは得票数2位の長谷山教授。1964年から現行の選挙制度になってから53年間、その後の選考委員会では得票数1位が塾長に選ばれ続け、2位の得票者に決まったのは初めてだそうです。ちなみに選考委員会は学部長、塾長の経験者、企業経営者などで構成する評議員が参加しています。
なぜ第2位の得票数の候補が選ばれた理由はわかりません。三田評論の記事内容を見る限り、大学経営を主体にもっと活動していこうと考えて、編集している点です。まるでPR誌を読んでいる印象だったので、講読をやめようかと考えたら、塾長が伊藤公平氏に替わりました。もうちょっと継続しようかと思いました。
少子高齢化、停滞する経済、大学の研究力衰退の危機感、安全保障を巡る政治状況、地球温暖化を防ぐカーボンニュートラル。日本を取り巻く環境は数え始めたら、きりがないほど三田評論が挑むテーマはあります。優秀な教授陣を抱えていると心底考えているので、慶應義塾の論客らの活躍が再び、楽しめると期待しました。
しかし、論陣を張るといった雰囲気はありません。直近の特集をみても、2023年3月号は「共に支え合うキャンパス」。4月号は「投資は社会を変えるか」。特集記事の主見出しは3月号が「誰ひとり取り残されない」協生を考える、4月号は「自分のため、社会のために考える新しいお金の循環。いずれもとても重要なテーマです。
福沢諭吉先生の記事は迫力、問題提起いずれも面白い
でも、なにか物足りない。多くの知識が散りばめられ、多くの人が間違い無いと納得する内容で、まるで優等生の回答のよう。父親が残した福沢諭吉全集を読むと、福沢諭吉先生が書かれた原稿はとても斬新な視点に立ち、問題提起する迫力を備えています。負けん気が強く、時には激しい議論を交わしたそうですが、今の三田評論にその面影を見つけることは稀です。
三田評論のホームページでは以下の通り、自己紹介しています。
120年もの間、慶應義塾そして社会とともに歩んできた『三田評論』は、慶應義塾出身者にとどまらない豊富な執筆陣による幅広い知見、時宜に適した社会的な諸問題も取り上げる多彩なテーマにより、他には見られない、大学が発行するユニークな小型総合誌として好評を得ています。
大学のシンボルマークはペン
慶應義塾のシンボルマークは万年筆の先にあるペン。ペンの力は剣に勝るの意味が込められています。三田の丘にある図書館旧館に掲げられたステンドグラスに描かれた図柄は、武将が塾章のペンを手にした女神に敬意を表しています。大学の新聞研究所で学んだ塾生OBとしては、年に1、2回は改めてペンの力を痛感し、「三田評論もやるねえ」といった特集を読みたい。