パタゴニアの資本主義 会社は誰のために アダム・スミスが問い続ける経済倫理

アダム・スミスが提起した倫理観と重なる

 パタゴニア創業者のシュイナードさんの実践を見て、最初に思いついたのは「これがアダム・スミスが言わんとした倫理観じゃないのか」でした。40年間の企業取材を通じて急成長した会社、突然倒産した名門企業など多くの浮き沈みを見ています。ジャパン・アズ・ナンバーワンに浮かれ、1990年前後のバブル経済で冷静に考える力を失った経営者を間近に見ています。明日、倒産するのは確実なのに「うちは潰れない」と笑顔で話す社長もいました。破綻する経営者の中には「会社は自分のもの」と思い込み、疑う気もない人もいました。「儲かる利益も、逆に倒産させるのも自分の勝手」と思い込んでいます。従業員、その家族、取引先、消費者のことを忘れてしまったかのようです。

 「バブル崩壊後の不況に耐えるため」を建前に企業経営は大きく変わります。固定費を抑制する目的で賃金の安い非正規の従業員が増え始めました。一方で企業は内部留保を膨張させ、財務内容は万全を期します。成長に向けた投資や人的投資を手控え続けた結果、日本の賃金はもう20年以上伸び悩んでおり、先進国の中で下位グループの水準を漂っています。一方、世界ではシリコンバレーを中心にしたスタートアップ企業の上場で想像できない巨額の富を手にする経営者が相次いでいます。世界中で富裕層に資産が偏重する貧富の拡大は資本主義そのものに対する疑念も広がっていますが、その中でも日本は取り残されています。

富者も貧者も胃袋の大きさは同じ

 アダム・スミスは一つのことわざを使って富者の強欲について説明しています。「人間は満腹になっても、まだ食べようとする」。そして寓話のような文章で地主の強欲を次のように表現します。「彼の胃の大きさは、その欲望の大きさには比例しておらず、もっとも貧しい農民の胃より多量に受け入れることはないだろう」。にもかかわらず、食べきれない収穫物はわずか消費しかできない王宮などに提供されてしまう。しかし、農園は生み出す生産物は、結局は生産量に相当する住民を扶養してしまう。富者が生まれつき利己的で強欲であって、雇用する労働者数千人について関心がなくても、「見えざる手」で結局は分配から除外された人々にも大地が生み出したものはすべて振り分けられるからだ。

 アダム・スミスは重商主義を批判して「国富論」のなかで倫理の重要性を説きました。彼は「神の見えざる手」という表現は使っておらず、それよりもすべて人間が持つ倫理観によって得られた利益が広くあまねく分配されるべきだと説いています。野放図な強欲に振り回される昨今の資本主義をイメージしていたわけではありません。

新しい資本主義をイメージするきっかけに

 パタゴニア創業者のシュイナードさんが提示した「reimaging capitalism」はこの200年間以上に及ぶ資本主義の歴史に対する問題提起です。会社と株主、従業員、取引先、消費者などいわゆるステークホルダーという利害関係者に「地球」を加えました。企業取材を続けていると、「会社は誰のものだろう」という疑念が時々浮かびます。パタゴニアは好きなスキーなどに行く時は必須のアウトドア用品でしたが、頭のインナーウエアとしても今後は活用するつもりです。

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