日本と南太平洋 人々との絆は太くなっているのか、見透かされる身勝手な打算

 冒頭の写真はパプア・ニューギニアのブーゲンビル島で撮影しました。ニューギニア島東部のラバウルから小型機に乗り、ソロモン諸島に向かう先に位置します。1994年10月、ブーゲンビル島を取材中、小さな集落にあった教会に立ち寄ると、遊んでいる子供達に会いました。

 彼らは英語と地元の言葉が混じったピジンイングリッシュを話します。なんとなく意気投合して一緒にワイワイ遊んだのを覚えています。生活は豊かといえません。電力は乏しく、教会など人が集まる場所で白熱電球が輝くぐらいで、電気も点いたり消えたり。上水道はなく、蓄えた雨水か川の水を使います。夕方が近づくと辺りは暗くなりましたが、暗闇を忘れてしまうほど子供の表情がとても明るいのに驚き、「久しぶりにこんなに輝く瞳を見た」と心底、感動しました。

カメラに向かって笑う

カメラに向かい、笑ってくれました

 パプア・ニューギニアにはその後も訪れましたが、ブーゲンビル島で子供らと会う機会はありませんでした。あれから30年、もう成人してブーゲンビル島で、あるいはパプア・ニューギニアのリーダーとして活躍していると思います。

 ブーゲンビル島は太平洋戦争中、連合艦隊の山本五十六司令官が搭乗した一式陸攻が米軍機で撃墜され、山本司令官が亡くなった島として知られています。島には膨大な資源量が見込まれる銅鉱山があったため、パプア・ニューギニアから独立を目指す運動が勃発。独立運動のリーダーの腰には山本司令官の軍刀があると言われ、時には銃撃戦も繰り広げる内戦状態が続いていました。

 1994年10月、内戦状態を解決するため、オーストラリア、ニュージーランド、フィジーなど南太平洋の国々が参加するPKOが展開されました。オーストラリア、ニュージーランドはともかく、パプア・ニューギニア、フィジーなど島嶼国にとってPKOは大きな負担です。それでも国連など外部の力を頼るよりも、同じ地域の平和を守る共同体として努力しようと結集しました。島嶼国は海外の経済援助に支えられていますが、国、南太平洋を守る気概はどこの国も負けていません。

ブーゲンビル島での集会

 日本は、島嶼国をどこまで理解しているのでしょうか。太平洋・島サミットの最終日の18日、岸田首相は「気候変動などの喫緊の課題への対応は待ったなしだ。日本は長年培ってきた『キズナ』を土台に共通の課題に取り組む。太平洋島嶼国との関係をさらなる高みに引き上げ、未来に向け、ともに歩む決意を新たにしたい」と述べました。

 果たして、キズナ(絆)は果たして互いの信頼を象徴するほど太いものなのでしょうか。

 日本の思惑は明快です。南太平洋で影響力が増す中国を睨み、これまで通り島嶼国を日本や米国、オーストラリアなどの側に引き寄せておくことです。「力による一方的な現状変更の試みへの反対といった価値・原則を共有している」と岸田首相は強調し、中国へ釘を刺しました。

 日本には島嶼国との長い歴史があります。第二次世界大戦まで統治していた国があるほか、経済協力に長年取り組んできました。1971年に結成した太平洋諸島フォーラムに日本はオーストラリア、ニュージランド、米国と並んで深く関与し、支援し続けています。太平洋・島サミットは日本が主導する形で創設。1997年から3年に1度、首脳が集まり、太平洋での日本の存在感をより強く訴えるのが狙いでした。途上国援助(ODA)を使って歴史的にも関係の深い南太平洋に貢献してきたという自負もあります。

 しかし、ソロモン諸島、ナウルは中国寄りを鮮明にしており、中国が積極的に打ち出す経済協力に「支援で競うのは難しい」という声が日本政府から聞かれるそうです。外野席から見れば、日本も中国も島嶼国にお金の紙幣を見せつけ、どっちが良いかと競わせているように見えるだけです。

パプア・ニューギニアの平和記念碑

 南太平洋の島嶼国は、経済援助を天秤にかけているだけでしょうか。パプア・ニューギニアなど第二次世界大戦で日本に多くの犠牲を払った国は多いですが、戦後から日本が続ける支援に感謝しているのも事実です。その歴史はもう半世紀に及びます。その実績があるにもかかわらず、中国の経済協力を無視できないのは島嶼国が直面する厳しい窮状があるからです。

 気候変動、環境汚染、経済的な自立が見通せない・・・。多くの課題があります。日本は長年、この目の前に立ちはだかる課題を承知しながら、どこまで本気で取り組んできたのか。JICA(国際協力機構)のスタッフが文字通り、心血を注いで貢献している姿を間近に見ているだけに、日本が突然のように現れた中国の経済協力に劣る評価となってしまうのはとても残念です。

 あえていえば日本政府が経済協力の金額の多寡に目を奪われ、現地が求める支援を寄り添うように継続してきたのかどうか。いま、改めて検証する必要があります。

 ブーゲンビル島で会った少年たちは成人していくように、日本と島嶼国の関係もどんどん成長する必要があります。もし、あの少年たちに今、会ったら、とても想像できなほどの驚きと未来を教えてくれると思います。手元の写真を眺めるたびにとても残念です。

 「経済支援する」といった上から目線で対峙する姿勢では、日本の取ってつけたような身勝手な打算は見透かされます。もっと対等な目線で向き合うことが大事です。そこから初めて「キズナ」と呼べる信頼関係の醸成が始まるのではないでしょうか。

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