生成AIと覗きの部屋 仮想と実体験の「楽しさと悲しさ」は40年前から同じだった 

「大脳セックス時代の到来ってダメですか」1981年末、新聞記者2年生の時、流通専門紙の正月特集に参加する幸運に恵まれ、担当デスクから「好きなテーマに挑んでみろ」というので、提案してみました。「頭はおかしいんじゃないの」と呆れながらも「ネタを集めるかどうか、まずはやってみろ」。まだ20歳代の頃です。自分なりに時代の波頭を先読みしたつもりでした。

新人記者時代に「大脳セックス」を提案

 当時はノーパン喫茶が大流行。多くの批判と非難を浴びながらも、新しい風俗ビジネスが生まれ、消えていきます。ネタ集めのためにまずノーパン喫茶を運営する事業者に会って業界の裏話を聞いていたら、「覗きの部屋という形式もヒットし始めている。そっち行ってみたら」。

 早速、運営者を探し出して取材アポを獲得、東京・渋谷の某所に向かいました。「覗きの部屋」の店内はロッカールームのようでした。たくさんの小部屋が円形状に並べられ、円の中心部が覗ける小さなガラス窓がはめ込まれています。小部屋の視線が集まる中心には着衣の若い女性がいろんな姿態を演じていました。女性の出番が変わるたびに小部屋を掃除するスタッフと雑談すると「窮屈な空間の中で勝手に妄想し、覗いているだけ。何が楽しいのか、よくわからない」と苦笑します。

「実体験よりも空想、あるいは妄想かもしれないけど、楽しめる空間を人間は求めるんだ」。1970年代、若いカップルなどから絶大な人気を集めたホテル「目黒エンペラー」の社長は人間の快楽について看破します。社長の部屋にはSMプレーをする器具があちこちに。私にとっては非日常の空間の中で「現実よりも、夢・妄想が楽しい」のフレーズが頭の中で繰り返し響き、「大脳セックスの企画はできるな」と確信しました。

 あれから40年間、人間が独り占めしてきた「夢想と妄想の空間」をコンピューターが侵入してきました。正確には人間を真似たデジタル技術の結集体でしょうか。人工知能の亜種である生成AIです。人間が過去に残した情報やコンテンツなどをもとに、あたかも現実にあるかのような世界を創生してしまいます。

 英国の有力紙エコノミストが「偽情報キャンペーンの解剖学」というタイトルでAIによる偽情報を分析しています。一例としてロシアが侵攻しているウクライナのゼレンスキー大統領とその夫人に関する偽情報を紹介しています。例えば、ウクライナ大統領夫人のオレナ・ゼレンスカさんは高級ブランドのカルティエで110万ドルを支払ったというねつ造があります。ドイツのヒットラー時代に宣伝相を務めたゲッベルスが所有していた別荘を購入したというのもあります。エコノミスト紙はロシアが発信元としていますが、それにしても多くの人が嘘と見抜く偽情報としか思えません。

 しかし、たとえフィクションとわかっていても、あの大統領夫人が高級ブランドに大金を費やしたというイメージは拡散します。ドイツをナチズム一色に染め上げたゲッベルスを使い、ウクライナ侵攻をナチズムと重ねて正当化する手法も、第二次世界大戦でドイツ侵攻などで1500万人近いロシア人が戦死した事実があるからです。恐怖感がよみがえるロシア国民は少なからずいるはずです。

英エコノミストは偽情報を解剖

 米国でもバイデン大統領を模した声が民主党の予備選の投票に行かないように呼びかける音声電話が拡散しました。制作者は一般的な40歳代の男性で、わずか150ドルの金額で制作を請け負い、生成AIで偽装したそうです。1月の台湾・総統選では、AIアナウンサーが当時の蔡英文総統の偽情報を流したり、後継者の頼清徳総統に関する偽スキャンダルを動画と共に拡散されました。いずれも中国が発信元とみられています。

 生成AIが造り上げる夢想・妄想の世界は、どうも楽しくなさそうです。進化すればするほど、楽しさが欠け、悲しさだけが前面に出てくる印象です。

 生成AIの偽情報と覗きの部屋が共通するのは、個人がこっそりと楽しむことです。覗きの部屋はどうみても狭い空間で独り妄想か夢想にふける世界です。デジタルとは無縁でアナログな時代錯誤的な妄想に映りますが、果たしてそうでしょうか。自分自身の体感を手がかりに自分の目の前にある世界をどんどん創り上げ、新しい空間と体感を実際に経験したかのように想像する。生成AIが創造に向けて機能する工程をなぞる同じ世界です。だからこそ、どちらも楽しいと感じる人がいるのでしょう。

初音ミクが体現する現実と仮想

 人工音源で3次元的な立体映像を演出する初音ミクのコンサートに行ったことがあります。初音ミクの音源は好きですし、バーチャル映像の抵抗も全くありません。ただ、札幌市のコンサートホールを満員に埋め尽くした観客が初音ミクに心の底から応援する風景には正直、引きました。会場の大半がペンライトを振り回しても、熱狂仕切れない人間は自分以外にも多数いたのは事実です。

 応援する実像はどこにあるのか。手にしっかりと把握できる存在、そんなことなんてどうでも良いけど応援し続ける存在。自身が応援するカリスマに対する限界を十分に理解しているにもかかわらず、まるで現実に生きているアイドルとして応援してしまう。現実と仮想を分ける一線がどこにあるのかは、どうでも良いのかもしれません。

 生成AIの話題を眺めていると、どうしても「覗きの部屋」を思い出します。自分自身が気持ちが良かったら、いいんじゃないか。そんな気持ちはわかります。でも、40年前から感じる答は同じです。自分自身の頭で考える創造力、そして実践して出来上がった完成品を手にする喜び。こっちの快感はもっと良いと思います。人工知能が人間の知能をうわまるかどうかはどうでも良いことです。もっと楽しめることは何か?。「自分で考えたら」と生成AIはアドバイスするのではないでしょうか。

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